橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
| 2005年01月10日(月) |
小林よしのりとの対談 |
私「小林さんの『戦争論』を読ませていただきました。小林さんは日本の現状にたいへん危機感をもっていますね。現在の日本がここまで堕落したのは、戦後の民主主義教育が間違っていたとお考えですか」
小林「若者がここまで豊かになれたのは、日本の過去の長い歴史の上に立っているからでしょう。ところがその若者が、学生服の問題で国連まで出かけていき、学校は制服をを無理やり自分たちに着せようとしている。ボクらには人権がないって訴える。うちは制服なんか全然配ってもらっていんないよという国なんか、いくらでもある。それがもう全然わからないところまで、豊かなわけですよ。そんな豊かさっていうのは、いったいなんなのか。いま現在ここにいる自分の存在が、どうして成り立っているのかがわからない。それは歴史を喪失しているということでしょう」
私「たしかに、若者ばかりではなく、大人たちもこの未曾有の豊かさの中で方向感覚をなくしているところがありますね」
小林「わしがいいたいのは、ようするに過去営々と蓄積されてきたもののおかげで、いまの日本人があるということ。日本語だって最初からあったわけじゃないですよ。小さな島国でえんえんと育まれ変化してきた歴史の中で、ようやくいまの日本語があり、いまの豊かさもあるってことですよ」
私「たしかに現在の日本のゆたかさは日本人の勤勉さのたまものでもあるのでしょうね。小林さんは、この豊かさはこのままでは維持できないところまで来ていると考えているわけですね。私にはいまでも日本は世界でもまれにみるほど平和でゆたかな成功している国にみえます。民主主義も充分になく、人権も守られていなかった戦中・戦前と比べるまでもなく、戦後の私の幼い頃と比べても見違えるように日本は豊かになりました」
小林「戦後がいいというふうにいったところで、戦後の民主主義がこれでよかったんだという話には絶対ならない。いま現在の戦後民主主義の中でずっと進んできた日本人のありようが自体が、次の滅亡にむかっていないか、すごく衰退してきていないか、なんかもっと別の罠にはまりこんでいないかと、そういうことに対する危機感が新たに芽生えてきていると思う。昔に比べればいまのほうがはるかにいいんだから、これでいいんじゃないかという話では、全然ない」
私「たしかに、冷戦構造がおわり、世界は新たな歴史のステージに入りましたが、日本はこれにどう対応したらよいのかわからないでいます。バブル経済がはじけて、不良債権がたくさんできた。この負の遺産からもなかなか立ち直れないでいます。日本は今曲がり角にたっているかもしれませんね」
小林「日本がバブルでものすごい好景気だと浮かれ、アメリカがものすごい不景気だといっていたとき、アメリカ側は次の戦略は情報と金融だとビジョンを立てて、そのためにチームを組んでびっちり計算して、それを打ち出したから、いけたわけでしょ。ようするに、国家としてのビジョンなり哲学なりというのは、つねに考えていかなければいけないんですよ」
私「国家としてのビジョンが描けなくなったのも、民主主義教育の弊害だとお考えですか。私は民主主義や個人主義を否定するのではなく、これを生かす中で、日本社会の活力や創造力を高めていきべきだと思います。つまり、個がしっかり確立されていなかったから、バブルに踊らされたわけでしょう。戦前は国民全体が長いものにまかれてファシズムになっていったのではないのですか」
小林「個人のアイデンティティとは、ようするに欧米だったらそこに宗教が入っているから、確固としてあるわけですよ。あるいは伝統とか歴史とか国家の観念が入り込んでいるから、個のアイデンティティが保てる。それがなんにもないのではね、個人のアイデンティティはたもてないんですよ」
私「民主主義では個のアイデンティティは育たないというわけですね。私は個人の決定権があって、責任や義務が生じると考えます。自由と責任は車の両輪ではないでしょうか。民主的な自由主義体制があって、個のアイデンティティが育ち、自己責任の意識もうまれるのではないかと考えています」
小林「個人の自己決定権なんていうものは、基本的には公の意識がないと全然できないものでしょう。若者の末端のところの部分での意識っていうのは、もっと、とことん崩れていっているというかな。国家のアイデンティティというものを持たなければ、個人も崩壊する」
私「個のアイデンティティを育てるためにも、国家のアイデンティティが必要だというわけですか。私は個のアイデンティティが確立して、はじめて公的な意識や責任感が成り立つのだと考えます。それに、公的なものとして、なにも国家に限定する必要ないのではないでしょうか。地域社会や、国家を越える存在として国際社会もあります」
小林「世界的な公なんてものはなくて、現実には、どの国も自国の安全とか繁栄とかを第一に考えている。やっぱり公の範囲は、国までということでしょ。それから、自由って言葉があまりにも美しく響き、自由ならなんでもいいんだ、強制や規制っていうものは一切ないほうが人間の世の中にはいいんだと、そんな架空の物語を、若い人たちは、やっぱりかなり信じ込んでしまっている。そう教える教育も蔓延しずぎているとわしは思う」
私「私は校則がうるさくて、規制ばかりで自由がないのが戦前戦後をとおして日本の教育の特徴だと思っています。これにくわえて受験体制による偏差値のしめつけがあります。こうした画一的な人権無視の没主体的な教育環境が、無気力で自己責任のない人間を大量に作りだしたのだと思っています」
小林「芸術家や作家が、世の中は個人主義だ、自分の好きなことでやっていけってかっこよくいう。村上龍なんかもいつもそういう。でも、一般の人にとってみたら、むごいことをいうよなあと、わしは思っちゃうんですよ。ふつうの人間はそうは生きてはいけない。戦後の一般庶民もインテリも、官僚も若者たちも、もう全員個人主義から出発している。それこそ、いろいろな問題が噴出してきている原因ではないか」
私「それは個人主義というより、利己主義ではないでしょうか。それに、すくなくとも法治主義に基づく近代的国家は個のアイデンティティを前提にしています。小林さんはヨーロッパに始まる近代主義の国家の理念を否定するのでしょうか。日本の文化的風土にはそうした近代主義の理念はなじまないとお考えですか」
小林「本来ならば日本は、近代国家にすら、する必要はなかったのかもしれない。ヨーロッパやアメリカの列強から開国を迫られるという国際情勢がなかったら、ずっと江戸時代のままでもよかったわけですよ。それを近代国家にした時点で、ある種の人工性というものは、取り入れなければもう仕方がなかった」
私「その人工性というもののせいで、日清、日露戦争がおこり、太平洋戦争が起こった。そして敗戦を迎えたと考えているのですね」
小林「あの時代に日本が西洋列強と、しのぎ合って生き残っていくためには、結局その道しかなかったんですよ。やむなくそこに突入して行っただけの話。世界の資源や富が限られているとしたらどうします? これをたくさん奪取するところが裕福になり、残ったやつはもう餓死して死ねというのが、この世界ですよ」
私「それは一面の真実をふくんでいますね。国際社会の状況は今もあまりかわっていない」
小林「この前テレビで見たけど、スーダンなんか、アメリカやアラブが武器渡して戦争ばっかりさせて、子どもは全員もうガキのときからほとんどミイラみたいな感じで、どんどん餓死していく。わしは、世界認識の仕方として、そういう搾取してしまっているということ自体を、罪悪感としてとらえるんでなくて、人間社会のどうしようもない掟である、それは乗り越えられないんだって思ってしまう」
私「ずいぶん悲観的なんですね。しかし、たしかにそうした考え方に立つと、アメリカやアラブが搾取するのが悪いのではなくて、される方が愚かだということになる。日本が朝鮮を併合したのも、中国や東南アジアを侵略したのも、それは仕方がない。そうしないと当時の国際情勢の中では日本が生き残れないからだということになる。これは社会ダーヴィニズムの弱肉強食の論理であり、強者の考え方ですね」
小林「わしが思うには、たとえばアラブはアラブの文化水準じゃないと絶対いけない。そこから石油を強奪してきて、アメリカの富は徹底的に栄えるんですよ。日本もこの豊かさをなんとか維持するためには、中国がもうあれ以上になってはまずいんだ。あそこが万が一近代化していったら、大変なことになるんだ。公害もなにもかも垂れ流しにされて、自然環境なんか全部破壊ですよ」
私「ずいぶん、過激ですね。小林さんは原子力発電も必要だと思いますか」
小林「原子力を維持しておくしかない。なんだって、そうしなきゃ、生活レベルは落とせない。選択肢はないでしょう。僕は、世界がなんといおうと、生活はいまのレベルを維持しなけりゃいけない、これこれの理由で原子力は必要だと、やっぱりいわなきゃいけないと思う」
私「その論理は、生活レベルは落とせないから、戦争をするしかない、ということに結びつきますね。日本はそうした論理で戦争に入っていったのではないでしょうか」
小林「日清日露にしろ大東亜戦争にしろ、反対した人間はほんの一部の少数に過ぎないっていうのが常で、国民全体は結局、戦争をやりたかったんですよ。国外では帝国主義の流れがどんどん押し寄せてくる。その危機感みたいなものを国民が感じ取り、軍部にさらに強く肩入れしていく。それが結局、大東亜戦争になっていく」
私「そうすると、日本人は国際状況によっては、また戦争しようとするかも知れませんね。小林さんは国益のためなら戦争はしてもよいとお考えでしょうか。そのために自衛隊なんか頼りにならない。もっとちゃんとした軍隊を持った方がよいとお考えですか」
小林「だって、武力を持っているから国家なんだ。暴力装置そのものが国家なんだから。どんな国だって、経済の裏側には、つねにちゃんと軍備がある。たとえば、大東亜戦争そのものがなかったら、この豊かさは実現されていないですよ」
私「戦争に負けて、日本は旧体制が破壊され、戦後の冷戦体制の中でアメリカの庇護のもとで奇跡的な復活をはたしました。しかし、それは単なるラッキーな偶然が重なっただけかも知れませんよ。再び戦争して、日本が豊かになるという保証はないし、この豊かさが完全に破壊されることになるかもしれない。その方が、国民の目がさめていいかもしれませんが」
小林「もう60年も戦争がないですからね。主体性の問題を言えば、たとえば江戸時代には、奇跡的に平和という時代が300年近く続いた。でもそのとき、武士階級は貴族の責務(ノーブレス・オブリッジ)を忘れていなかった。それがあったから明治維新ができた。戦う気概、独立する気概というものをずっと持っていたんですよ」
私「民主主というのは、そうした独立心をすべての人々に持たせて、政治に参加させようという理念ですよ。江戸時代にはそうした独立心を武士のなかでもほんの一握りの人たちしか持っていなかった。もっとも、戦後60年続いた安保体制のもとで、どれほど独立心のある個人が育ったかは疑問ですが。私はこれを日本で民主主義や個人主義がしっかり根付いていないからだと考えていますが、小林さんはそうは考えないわけだ」
小林「これは民主主義そのものの病理ではないか。これを打破するためには、武士道とか、公とか、公論というものを考えるとか、それこそ階層そのものを作るぐらいのことを考えないといけない」
私「小林さんのいう公の世界が見えてきましたよ。小林さんの理想とする社会は江戸時代のような身分制社会ですね。民主主義は必ず衆愚政治に堕落するいうプラトンの国家論の世界です。政治は一部の貴族的魂をもった人間が行い、大多数の人間は、自分の分を守ればいいわけですね。小林さんは民主主義より、封建制もしくは君主制がいいとお考えですね。戦前のような天皇を元首に復活したほうがよいのでしょう」
小林「天皇制は、ずうっと考えたこともなかった。『戦争論』でも、あんまり深く考えていない。まあなんちゅうのかね、戦争中みんな天皇のために死んだみたいな話になっているけど、それだけじゃなかっただろうなと思う。なんのためといったら、郷土だったり、家族だったり。そういう意識が集合した国というものひとつの統合体ととして『天皇万歳』というときは、きっと『日本国万歳』というのと同じ意識だったんだろうと思う」
私「やはりお国が一番なわけですね。小林さんは初めからそんなお考えだったのですか」
小林「わし自身もずうっと、自分は個人主義だ、個人で立っている、国なんてものがなくても個人でやれるんだって感覚だった。それをもういっぺん問い直してみたいと」
私「個人主義の限界を自ら痛感して、それで『戦争論』を書いたわけですか」
小林「なにしろ左翼というのは、戦争中に国を思って死んだ人とか、国を思うという感覚そのものも、戦争と一緒に否定したがるから。そもそも国そのものを、ないほうがいいと思っているわけだから」
私「私は国民がしあわせに生活していくために必要な装置が国だと考えています。国と同様に、家族や地域社会、そして国際社会といった『公』も大切だし、そうしたなかで個人が育っていくと考えています。自分の生まれ育った社会を大切に思っていますが、そのなかから『国』だけを特別扱いにして、崇拝や礼拝の対象にはしたくないですね。それは新たな災いの種になりかねないと思っています」
(これは私と小林よしのり氏との架空対談である。ただし、小林氏の言葉は、架空ではなく、小林と田原総一郎の対談集「戦争論争戦」(ぶんか社)から、彼の発言を一字一句正確に再現してみた。実際の対談では強烈な個性がぶつかり、よく本音が出ているが、発言は平行線でかみ合っていない。私ならこう発言するだろうな、ということで書いてみた。いずれ田原総一郎さんとの「対話」も楽しんでみたい)
|