橋本裕の日記
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2005年01月09日(日) 沖縄に見る共死の悲劇

 沖縄は先の大戦でずいぶんひどい目にあった。島の人口密集地帯が主戦場になり、人口の1/3を失っている。沖縄の人々は敵軍に殺されただけではない。友軍であるはずの日本軍の手によっても殺されている。

 たとえば米軍が上陸してからは、たんに沖縄の方言をつかっただけで、スパイとして処刑された。このこともふくめて、大田昌秀・前沖縄県知事が講演「戦後沖縄の挑戦」で沖縄の問題について述べているので、今日はこれを紹介しよう。

<敵米軍の非戦闘員に対する特別な配慮とは対照的に、味方の守備軍司令部は、米軍が沖縄本島に上陸して9日目(1945年4月9日)、同地下司令部で出していた軍会報につぎのような命令を掲載しました。「爾今軍人軍属を問わず標準語以外の使用を禁ず。沖縄語を以て談話しある者は間諜として処分す。」

 その後、5月5日になって同文の命令は再度出ていますが、今度は長参謀長名で発せられています。その結果、何名かの地元住民が自らの呼吸にもひとしい言葉を使ったというだけで、友軍に間諜(スパイ)の汚名を着せられて処刑された、と沖縄県史などに記録されています>

 日本軍は米軍の沖縄上陸直前に、市町村長をはじめ県会議員、大政翼賛会支部長、医師、校長・教員など30名程からなる「国士隊」という秘密の特務機関を設置した。そのねらいは「一般民衆に対する宣伝防諜の指導及び民情の把握、並びに最悪時に於ける諜報戦の活動を強化する」「軍官民共生共死の一体化を図る」ことにあった。

<つまり、地元の非戦闘員は、いかなる意味においても守護の対象ではなく、あくまで軍と共死する存在でしかなかったわけです。いきおい国士隊の真の目的は、親米的もしくは米軍協力分子の摘発とか反軍、反戦的人々を発見して、監視し、守備軍に通報することにあったのです>

 大田昌秀さんはさらに、八重山群島における石垣島事件について述べている。1945年4月15日、石垣島に米爆撃機が1機不時着し、3人の飛行士が同島の日本海軍警備隊に捕縛された。そして尋問の後、2人が斬首、1人は刺殺された。刺殺された捕虜は、指揮官が模範突きで刺殺した後、約50人の各小隊員が命じられるまま30分ほど刺突を繰り返したのだという。

 戦後2年も経った1947年夏頃、この件についてマッカーサー司令部に通報があり、被疑者が一斉に検挙された。横浜で行われた裁判の第一審では、46名の被告中、41名が死刑を宣告された。

 この中には、沖縄出身者が7名含まれていたが、正規の軍人は1人だけで、残りは事件発生から3、4カ月前か、わずか2週間前に沖縄現地から召集された農民あがりの兵士で、しかも3人は年令が20歳未満だったという。
 
 無罪放免となった県出身者の被告の一人が、東京の沖縄連盟の仲原善忠会長に仲間の減刑運動を嘆願し、これを受けては仲原会長は40名の連盟会員の署名を添え、嘆願書を裁判の管轄者たるアイケルバーガー第8軍司令官宛に提出した。

<仲原会長は、著名な郷土史家で、とくに沖縄の万葉集と称された『おもろさうし』の研究者として知られていました。『おもろさうし』は、12世紀から17世紀にかけての古歌謡(それは生活万般に関するもの)を1530首集めたものです。それとは別に古来からの伝説や説話を142首収録した『遺老説伝』という本もあります。

 仲原会長は、嘆願書において、これら2著の1672首のデーターを調べてみたところ、「殺す」という言葉がない、言葉がないのは「殺す」という意識がないことを意味する、と主張し、沖縄の非武の文化の特質について言及しました>

 嘆願書には、15世紀後半から16世紀前半にかけて在位した琉球王国の尚真王は、武器の携帯を禁止し、琉球は武器のない国、守礼の国として海外にまで知られるようになったこと、沖縄では空手を編み出したが、それも他人を攻撃するためでなく、他人の攻撃から身を守るためだ、ということを理を尽くして述べられていたという。

<本土の家庭では、多くの場合、床の間に槍や刀が飾ってありますが、沖縄の場合は三味線という楽器を飾るのが一般的で、きわ立って対照的です。そのようなところから、沖縄の文化は、「女性文化」とか「やさしさの文化」などともいわれます>

 仲原会長が主張した沖縄の平和思想や「非武の文化」の主張は、裁判官の心を動かし、沖縄出身の死刑囚は最終的に1人残らず死刑を免れた。大田昌秀さんは「沖縄の伝統的な平和思想がたんなる理念としてではなく、現実に7名の尊い人命を救うほどのインパクトを与えた好例といえます」と書き、17歳で死刑を宣告された後、重労働の刑に処せられた元兵士の言葉を引用している。

 「思えば、志願兵として入隊し、東西もわからないままただ皇国日本の勝利を信じつつ上官の命令するままに動かされてきた青春、そして戦犯として5年余り刑務所生活を余儀なくさせられた青春、平和時の今日よく考えて見ると同じ人間でも戦下の人間は精神的状態が異常になるのです。それは戦前の教育に問題があったのです。…」

 「戦争は各国の事情で起しているのではない。精神状態の狂った人間をつくり出すことによって起しているのです。そういうことを私は学ばされました。人間の生命、人格が尊ばれる社会こそ戦争を否定する社会だと思います。それは真実を教える教育がなされてはじめて可能だと思います。そしてわたしたちは、毎日毎日の生活の中で正しい教育、正しい社会をつくるためがんばらなければならないと思います。」

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4053/1999-after-1c.html

http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/p12.htm


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