橋本裕の日記
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2005年01月08日(土) 旅のたのしみ

 今年の冬休みには、青春切符を使った旅を3回した。12月30日に「若狭小浜」へ、1月4日には「敦賀」、そして1月6日には「近江今津・新旭」へ行った。

 青春切符は11500円で5回分だから、あと二回分残っている。しかし、学校の部活があり、テニスの公式大会もはじまるので、もう使えそうもない。しかたがないので、ボーイフレンドと京都に遊びに行くという次女に、2千円で売るにした。

 それにしても、青春切符の旅はたのしい。これを使った旅をもう6年以上続けている。家族で倉敷に行ったり、友人と山口や萩に行ったこともある。一人で金沢や高山へも行ったし、若狭地方や東京の浅草へも毎年のように行っている。

 青春切符が使えるのはJRだけで、しかも普通と快速しか乗れない。こうした大きな制約があるが、乗り降り自由の各駅停車の旅も捨てたものではない。のんびりと道中を楽しむのが旅の醍醐味だからだ。

 旅に出ると、心がかるくなる。無重力状態におかれたような浮遊した気分になり、全身がくつろぐ。もはや現実のさまざまな思惑は遠くに消え去り、みるみる心が「からっぽ」の状態になる。心身を縛り付けていた生活の悩みや思惑がきれになくなり、そうしたものから解放されて、心がすがすがしい鏡になったような気分がする。

 そうすると、車窓から見える風景がどれも絵のように美しくきよらかに見える。同じ風景がまるで違って見えるのは、私の心が「からっぽ」になっているからだ。こうした状態では、俳句や短歌もうかびやすい。芭蕉が旅を愛した心境もわかる。

 こうして「心の窓が開いた状態」のまま、列車を降りてあちこち見て回る。ゲーテの「心の窓を開けば、すべてが美しい」という言葉はほんとうだと思う。旅の心とは、現実遊離の心だが、もう一段と深い世界に自分をひらくことでもある。旅に出て、はじめて見えてくる現実の姿があるわけだ。

 さて、中でもこのたび訪れた湖北の新旭町はすばらしかった。この土地については、HNKの番組にも出演していた写真家の今森光彦さんが、「藍い宇宙―琵琶湖水系をめぐる」(世界文化社 2800円)という写真・エッセイ集を出しているらしい。

 読みたくなって、さっそくインターネットで注文した。湯川豊(東海大学教授)さんが「生命をつなぎ 巡る水」という題ですぐれた紹介文を書いているので、ここに全文引用しておこう。

<琵琶湖の北、針江(はりえ)大川の河口に新旭町という小さな、しかし奇蹟(きせき)みたいな町がある。ふつうの家のなかに地下水が湧(わ)き出し、人びとは「かばた(川端)」という井戸のような装置でその水を利用している。自然写真の第1人者ですぐれたエッセイストでもある今森光彦氏は、この町で田中三五郎さんという琵琶湖の老漁師に出会った。このへんでいう「おかずとり」漁師で、モンドリという仕掛けで自分が食べるだけの魚(ニゴロブナ、ギンブナ、ギキなど)を毎日とり、「かばた」の生け簀(す)に入れておく。

 「かばた」は田中さんの日常の中心にある。そこで顔を洗い、飲み水を汲(く)み、食事どきには生け簀から魚や野菜をとりだして料理をつくる。今森氏はそこに「水と人とが本来どのような関係であるべきか」を見とり、ときにはギンブナの造りなどを御馳走(ちそう)になって田中さんの生活に参加する。そして、老漁師が湧き水を飲む姿を見て、いう。「体内を水が通ることによって、“かばた”や水路、小川や琵琶湖の水が三五郎さんの中で1本の川になる」のだと。

 町じゅうの「かばた」が細い水路で結ばれていて人間の生活の残滓(ざんし)がそこに入るのだが、水路やその先の小川にはゴリとかセタシジミが豊かに生息している。人と動植物すべてが水を通して緊密に繋(つな)がっている、おそらくは明日にも消えようとしている世界がここにある。琵琶湖を巨大な水の貯蔵庫としてでなく、人と水との繋がりから見ることで、著者は一つの「藍(あお)い宇宙」を発見したのだ。

 メガネサナエというトンボ、ナマズ神社のこと、町の路地で衝突しそうになったコサギの姿、内湖(ないこ)やヨシの話などがゆったりと語られ、人間にとっての水の意味が明らかになる。湖畔で生まれ育った今森氏の少年時代への郷愁が話のまにまに、また見事な写真のなかに水の匂(にお)いのように滲(にじ)み出てきて、この写真文集を比類なく美しいものにしている。◇いまもり・みつひこ=1954年、滋賀県生まれ。写真家>


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