橋本裕の日記
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HPで日記を公表するようになって、5年と数ケ月になる。私の手元にはそれ以前の日記帳が13冊あり、これを少しずつデジタル文章に置き換えている。
すでに「1882年の日記」は「過去の日記」として発表しているが、この正月に暇を見つけて、「1883年の日記」「1884年の日記」をデジタル化した。ここで「1883年の日記」の「あとがき」を紹介しよう。
−−−−−「1883年の日記」の「あとがき」−−−−−
ここに収めたのは1983年の日記の一部である。この年の3月、私は2年間務めた県立豊田南高校を転勤になった。転勤先は名古屋市内にある県立瑞陵高校の定時制である。定時制への転勤は私自身の希望だった。
これにともない、これまで住んでいた長久手町のアパートを出て、名東区西里町に借家をかりた。そして、そこに1年余り別居していた妻と長女を迎えた。生活の上で、ずいぶん大きな変化を体験したわけだが、その詳細について、ほとんど日記に書かれていない。
日記とは名前ばかりで、そこには生活の記録はあまり書かれていない。ほとんど思想上のことが書かれている。その一端をここに紹介したが、それは一部である。すべて書き写したら厖大な量になる。
読み返してみて、それなりに面白いと思ったが、労力を使って残すだけの価値があるとは思わなかった。それでそのほとんどを捨てることにした。しかし、そうすると、あとに残るものはそれほど多くはない。
読み返して残念だと思うのは、やはり日々の記録が少ないことである。たとえば10月26日の日記には、ただ一行「母が福井から来た」とだけ書いてある。母が何のために来たのか、その状況がよくつかめない。20年以上も前のことで、記憶をさぐってみても何も思い出せないのである。
日常の細々をなぜ書き残してくれなかったのか。あとで振り返ってみると、こうした何でもないことが、とても大切に思われてくる。そして、日記を読み返す楽しみも、その大部分はこうしたことなのだ。
しかし、これはあとから振り返って言えることである。現在の私の日記も、経済や、思想、哲学、社会問題について多く語っていて、日常についての記述はあまりない。後日読み返してみて、おそらく同じ不満を持つのではないだろうか。(2005,1,3)
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