橋本裕の日記
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私の通勤路は木曽川の堤防だが、そこから対岸にこんもりとした丸い山がみえる。この山を私はひそかに「三輪山」と名づけて拝みながら、ときにはこんな万葉集の歌をつぶやく。作者は額田女王だという。
三輪山をしかも隠すか雲だにも 心あらなむ隠さふべしや (万葉集 巻1−18)
20年ほど前にはじめて山辺の道を歩いた。そのとき読んだ短歌をもとに「明日香風」という歌集を作ったことがある。三首引いておこう。
三輪山をみつつしのびぬいにしへの 人のこころはやさしきものか
まろやかな小さき山を神と見し 人の心に神はやどりぬ
神やどる人のこころにほのぼのと やさしき歌は生まれいづるか
古人が愛した三輪山は、日本人の信仰の原点であり、心のふるさとだ。そこに三輪大明神大神(おおみわ)神社があるが、この神社は三輪山そのものをご神体としているため、今も本殿はない。
私の「三輪山」にはもちろん社殿はない。神社に社を建てるようになったのは、仏教の寺院建築の影響らしい。内村鑑三が「信仰心があるところ、そこが教会だ」と書いていたが、麗々しい社殿など、ほんとうは必要ではない。
三輪山の杉は古来より神聖な霊樹として尊ばれていた。拝殿前の「巳の神杉」には雨乞いの時に里の人々が集まり、この杉を祈った。現代でも、この杉の前には、巳(みい)さんの好物とされる卵が酒とともに供えられている。万葉集にこんな歌ある。
美酒(うまざけ)を三輪の祝部(はふり)が斎ふ杉 手触れし罪か君に逢ひ難き (巻4−712)
(三輪の神官が神木として崇めている杉に手を触れた罰でしょうか、あなたに逢えないのは)
もう三首、万葉集を彩る哀切な歌を紹介しよう。これは恋人であった十市皇女を失ったときの高市皇子の歌である。二人はともに天武天皇の子供で、高市皇子はその長子である。異母兄弟でありながら、二人はひそかに愛し合っていたらしい。
ちなみに十市皇女は額田王女の娘で、壬申の乱で破れた大友皇子の妃であった。十市皇女は夫の死後、高市皇子のもとにいたが、二人の仲を疑った天武天皇から伊勢に斎宮として下るように命令された。その直後の急な死であったという。十市皇女は約26〜31才、高市皇子はおよそ25才だったという。
三諸の神の神杉夢にだに 見むとすれども寝ねぬ夜ぞ多き (巻2−156)
(三輪の山の神杉を見るように、夢にだけでもあなたを見ようとするのに、あなたを失った悲しみに眠れない夜が多い)
三輪山の山辺真麻木綿(まそゆふ)短木綿 かくのみからに長しと思ひき (巻2−157)
(三輪山の山の辺にある真麻の木綿が短いように、あなたの生命も短かったのに、私は長いものだと思っていました)
山吹の立ちよそおひたる山清水 汲みに行かめど道の知らなく (巻2−158)
(黄色い山吹の花が彩る山の清水を汲みに行こう、黄泉の国にあなたを訪ねて行こうと思うが、道が分からない)
万葉集の歌にはこうした原初的な信仰心がしみとおっている。万葉の歌を魅力的にしているのは、森羅万象すべてのものに神が宿るという、この重厚な信仰心だと言えるかも知れない。
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