橋本裕の日記
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2005年01月03日(月) 鳥たちのいる池

 昨日は家族で鵜沼にドライブした。陰平山にのぼり、その麓の池で、鳥達にパンをやった。鴨やおしどり、アヒルなど、何十羽もの鳥がやってきて、ガア、ガアと賑やかなこと。途中から妻と長女は少し離れたところで休んでいる一羽のアヒルの方に行った。

 このアヒルは12月に来たときにも、水の中に入らずにコンクリートの堰に石段にいて、私たちが池の鳥達に餌をやっていると声だけだして催促した。そのときは羽を痛めているのかと思ったが、なんとなく哀れでそのアヒルにたくさん餌をやった。

 昨日もそのアヒルは同じところで羽を休めていた。しかし、前回とちがって、ほとんど声を出さない。妻と娘がパンをちぎって投げても、ほとんど食べようとしなかった。
「怪我が治らないのかな。それとも病気かしら」
 妻も娘も少し心配そうだった。

 この池に来た目的の一つは、このアヒルの様子を見ることだった。元気に回復していることを祈っていたが、どうも様子が変である。痩せていて、目に光りがない。緩慢な動きで、食欲までなくしているところを見ると、もう先があまり長くないのではないだろうか。

「家に連れて帰れないかな」と娘が言う。
「まあ、むりだね」と私。
「役場に電話をして、助けてもらいましょうか」と妻。
「怪我や病気とは限らないぞ」と、あくまで冷静な私。

 私の見るところ、そのアヒルはかなり高齢である。水に入らず、食を絶って、静かに死期を迎えようとしている、いわばアヒルの聖人(聖鳥)なのだ。人間の勝手な都合で、おせっかいをしても始まらない。

「家の水槽で飼っているメダカと同じだよ。生があるものはいずれは死ぬんだ。これが自然界の摂理なんだよ。鳥だって、人間だって、この自然の掟にはさからえないさ」

 そんな話をすると、妻や娘も納得したようだ。今度来るときには、もうそのアヒルに会えないかも知れない。心の中で「さようなら」と呟いて、そのアヒルのいる池を後にした。


橋本裕 |MAILHomePage

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