橋本裕の日記
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2004年12月21日(火) 支配されたがる人々

 石原知事は12月の都議会で、日露戦争を賛美し、「憲法を順守するかしないか、場合によったらしません」「命がけで憲法を破るんだ」などと暴言を繰り返した。憲法を順守するのは公職者の義務である。これを公然と否定する人間が都知事という公権力の地位についていることは許せない。

 私が不思議に思うのは、「命がけで憲法を破るんだ」などというふざけた石原知事の暴言を、新聞やテレビは一切報じようとしないことである。そして、石原知事をVIP待遇でテレビ局に呼び、これまた聞くに堪えない暴言を全国に垂れ流している。

 憲法は権力の横暴を抑え、国民の基本的人権を守るための歯止めである。これを否定したら、権力者は何でもできる。そして世の中に、横暴な権力ほど恐ろしいものはない。これは歴史が教えている。

 プラトンは民主主義の堕落が独裁を生み出すと言ったが、これはこれまでの人類の歴史を見る限り正しい。20世紀のナチズムがそうだし、天皇制のもとでの日本の軍国主義もそうだった。民衆が独裁者を要求し、拍手喝采でむかえたのである。そして、これを後押ししたのが、巨大なマスメディアだった。

 斎藤貴男さんは、「安心のファシズム」(岩波新書)で、自由から逃走し、支配されたがる民衆の心性が、ファシズムをいかに招来したか、現代の日本をも支配している「服従の論理」をくわしく分析している。そして「あとがき」にこう書いている。

<独裁者の強権政治だけでファシズムは成立しない。自由の放擲と隷属を積極的に求める民衆の心性ゆえに、それは命脈を保つのだ。不安や怯え、恐怖、贖罪意識、その他諸々−−大部分は巧みに誘導された結果だが−−が、より強大な権力と巨大テクノロジーと利便性に支配される安心を欲し、これ以上のファシズムを招けば、私たちはやがて、確実に裏切られよう>

 イソップに「王様さまをほしがるカエルたち」という印象的な物語がある。ある池に住んでいるカエルたちが、神様に「私たちにも王様をください」と懇願した。神様はしかたなく棒のはしきれを池に投げ入れた。しかし、カエルたちは「もっと立派な王様をください」と懇願する。そこで、神様はヘビを投げ入れた。そしてカエルたちはこのヘビに喜んで食べられたという話である。

 都議会で自民党の議員達は、「国歌斉唱時に起立もしない教職員がいまだに存在する」と追求し、「処分」を強硬に求めてきた。そして、「命を賭けて憲法を破る」という石原知事の発言を「感動した」と手放しで賞賛し、先の侵略戦争を自衛と正義の戦争と位置づけ、「大東亜戦争」と呼んで美化している。

 私は「多数決原理がファシズム生む」と書いたことがある。服従や支配を欲する人間が過半数を超えたとき、その社会はもはや健全な民主的社会だとはいえない。それはもはやプラトンのいう衆愚政治の世界だからだ。しかし、私たちの社会はその分岐点を知らず知らずのうちに越えてしまったように思われる。

(参考サイト)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-12-20/03_01.html


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