橋本裕の日記
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2004年12月13日(月) 別れの歌

 仏教に「四苦八苦」という言葉がある。その最初が「愛別離苦」すなわち、「愛する者と別れる苦しみ」である。万葉集は「愛と死の歌集」だと言われるが、同時にそれは「惜別の歌集」だとも言える。

 君が往く 道の長手を 折り畳ね
 焼き滅ぼさむ 天の火もがも
                      (万葉集巻15−3724)

 この歌を読みながら、私はふと曽我ひとみさんが夫のジェンキンスさんとジャカルタの空港で再会したときの情熱的な抱擁シーンを思い出した。曽我の気持も「焼き滅ぼさむ天の火もがも」ということではなかっただろうか。

 この歌の作者は佐野茅上娘子(さののちがみのおとめ)で、当時何かの理由で越前の味真野に流されていた恋人の中臣宅守(なかとみのやかもり)にあてて書いた恋文だと言われている。万葉学者の犬養孝さんは「万葉の人々」にこう書いている。

<かなしい別れをしたあと、都の娘子と味真野の宅守とは折りに触れて63首の歌を贈答し、その中、娘子の歌は23首である。長期にわたる二人の折々の私の歌が、ともに公開されるという形で、どうして「万葉集」におさめられたかについても、やはり流罪の原因と同様に不明である>

 別れと言えば、何と言っても防人の歌だろう。兵士として東国から九州へ徴兵された若者の多くが、異国の地で命を終えた。ふたたび故郷に帰ってきたのは一部だという。彼等の歌は万葉集巻20に93首、巻14巻に5首おさめられている。2首を引こう。

 筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも
 愛しけ妹ぞ 昼も愛しけ
                          (巻20−4369)
 霰降り 鹿島の神を 祈りつつ
 皇御軍に われは来にしを
                          (巻20−7340)

 二首とも関東地方から出てきた千丈という防人の歌だ。「筑波山の百合のようにいとしい人よ、夜だけでなく、昼間もこうしていとしくてならない」と恋人を切なく思いながら、その一方で、「すめらぎくさと、われはきにしを」と防人の決意をのべている。この両者を並べた万葉集の編者(大伴家持か)の心はいかなるものだったのか。

 信濃なる 千曲川の川の さざれ石も
 君し踏みてば 玉と拾はむ
                         (巻14−3400)

 私が大好きな万葉集の東歌なので、何度でも引用したくなる。この歌は作者未詳で、おそらく民謡として庶民の間に歌われたのだろう。娘は河原で恋人と別れをした。恋人は旅に出たのだろう。それが都まで年貢を届ける旅か、あるいは防人として九州へ行く旅か、いろいろ想像させられる。

 信濃の山嶺はまだ白く、千曲川の水も冷たい。
 その流れの中に、恋人と別れたばかりの少女がたたずんでいる。
 少女の足元の清流を透かして、川底の小石が見える。
 彼女は腰を屈めてその一つを取上げて、そして、つぶやくように歌う。

 あの愛しい人が踏んでいった小石を、
 これからはあのひとのように、
 宝石のように持っていよう。

 大学時代、私はこの歌をNHKラジオの講座で、犬養孝さんから教わった。そのとき、犬養さんは、特攻隊で息子を亡くした両親が、特攻基地のあった場所を訪れ、大切に小石を拾って持ち帰っていったというエピソードを紹介していた。

 愛する者と別れるのはつらい。しかし、この悲しみを避けるには、愛することをやめるしかない。万葉の人々は、それができなかった。全身で人を愛し、そして全身で、愛する人との別れを悲しんでいる。まるでそれが、生きることと証だといわんばかりに。


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