橋本裕の日記
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| 2004年12月06日(月) |
「0」の扉を開けてみよう |
割り算の意味や計算法(アルゴリズム)がわかったところで、少し特殊な割り算について考えてみよう。<a÷0>というタイプの割り算である。まずは、a=1の場合について。
<1÷0>を解くには、<0に何を掛けたら1になるか>を考えればよい。そしてその答えは「そのような数は存在しない」ということだ。なぜなら、0にどんな数を掛けても0にしかならないからだ。したがって、こうした解の求まらないような割り算はしてはならない。
つぎに、a=0の場合はどうだろう。<0÷0>を解くには、<0に何を掛けたら0になるか>を考えればよい。そうすると、<0×0=0>、<0×1=0>、<0×2=0>、<0×3=0>など、たくさんの答えが得られる。
たしかに、<0÷0=1>は一応は正しいわけだが、マイナスも含めてすべての数が許されるわけだから、<0÷0=1>だけが正しいという訳ではない。こうしたとき、数学者はその特定の答えを正解とはしないで、「解は不定である」という言い方をする。やはり解は求めることができないと考えたほうがよい。
つまり、<0÷0>も含めて、「0の割り算はしてはならない」ということである。このことは、「0」がほかの整数とはかなり違った特殊な数であるという印象を与えるだろう。そもそも「0」という数の正体は何か。
「0」という数字がはじめて使われたのはインドだということを前に書いた。インド人の商人たちはかなり早い時期に1から9までの数字を使っており、「そろばん」を使って、「10進法」の計算をしていた。そのころ使われていた「そろばん」は数本の棒を立てて、そこに石の玉を通すというものだったらしい。
それぞれの棒が、「一」「十」「百」「千」「万」の位を示しており、そこに積まれた石の数で数をあらわすわけだ。たとえば205という数を考えよう。このとき、「十」の位の棒には石が一つもおかれていないことになる。
インド人はこれをサンスクリット語でスーニャと呼んでいた。スーニャというのは「空」という意味だという。そして、その記号として「・」を使った。この「・」がやがてだんだん大きく書かれるようになり、「0」という数字になった。6世紀頃のことである。
773年にインドから数人の使節がアラビア帝国の首都だったバクダッドにやってきた。彼等はこのときこの新しい計数法で作られた天文学の計算法を贈り物として、当時の皇帝アル・マンスールに差し出した。
この頃、アラビアでは60進法が行われ、しかも数を言葉を使って長々と言い表していたので、計算はとても厄介なものと思われていた。ところがインド式の記数法による10個の数字による10進法の計算はとても簡潔で、一旦これに習熟すれば複雑な計算を短時間でなしとげることができる。しかも、「そろばん」を使わずに紙の上でできてしまう。
皇帝アル・マンスールはインド式記数法の優秀さをたちまち見抜き、これを国内に広めようと考えた。当時アッバース朝の中心であったバグダッドには、「知恵の館」(バイトゥ・アルヒクマ)と呼ばれる学問研究所のような機関があったという。
やがてその「知恵の館」で活動していたアル・フワーリズミーがインド式記数法を紹介した代数学書「アルジャブルとムカーバラ」をアラビア語で書き、これを読んだアラビア商人達によってインド式記数表が広く使われるようなった。
インド数字はやがてアラビア数字と呼ばれるようになった。アルフワーリズミーの本の原題にある「アルジャブル」というアラビア語はそのままの形で現在まで残り、algebraアルジェブラ(代数、または代数学)という数学用語となっている。
また現在使われている「アルゴリズム(計算手順)」という言葉も、アルフワーリズミーの名がなまって伝えられたことに由来している。アルフワーリズミーは「代数学」以外にも、地球の円周の測定や世界地図の作成など、「知恵の館」における多くの研究に携わり、それによって学問的高位を得て、847年に没したという。
サンスクリット語でスーニャ(空)と呼ばれていた「0」を、アラビア人はアラビア語でシフルと読んだ。やはり「空」という意味だという。1202年、アフリカの北海岸のピサに住んでいたレオナルド・フィボナッチが「アルジャブルとムカーバラ」を研究して、ラテン語で計算法の本を書いた。彼の本は次の15章からなっていた。
1.アラビア数字の読み方および書き方 2.整数の乗法 3.整数の加法 4.整数の減法 5.整数の除法 6.整数と分数の乗法 7.分数の計算 8.商品の値段 9.両替 10.合資算 11.混合算 12.問題解法 13.仮定法 14.平方根と立方根 15.幾何学と代数学 フィボナッチは「0」をラテン語でゼフィルスと読んだ。「風」という意味だという。「空」に近いものとして風を連想したのかもしれない。このゼフィルスがやがてゼヴェーロにかわり、今日の「ゼロ」になった。
「0」は10個の数字のうちの1つであるが、ただそれだけの存在ではない。数字以上のもの、「10進法」という「数体系」そのものを象徴している。インド人が「0」を発見したということは、「数のシステム」の奥深い秘密に気付き、その入り口の扉を開いたということでもある。「0」の向こうに広がる、とてつもなく広大な宇宙に一歩を踏み出したということだ。
(参考サイト) http://www.aii-t.org/j/maqha/magazine/science/01.htm
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