橋本裕の日記
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| 2004年11月04日(木) |
でも、クモのご飯だよ |
友人の北さんが、毎週学校で全校生徒に配布している「図書館探訪」という図書案内のプリントに、加藤幸子さんの「私の自然ウオッチング」という本から、「でも、クモのご飯だよ」という文章が引用されていた。
<野原を歩いていたとき、前にいる女の子がブツブツ言っているのを聞くと「踏んじゃって、わりい、わりい」タンポポに謝っているのだった。かと思えば、何やら深刻そうに五、六人たむろしているので中央を見ると、タナグモの網にシジミチョウが掛かって暴れている。通りすがりに母親の一人が立ち止まって「チョウチョ、かわいそうじゃない。放してあげたら」と声を掛けた。心優しいオトナの固定観念では、チョウは清純派だし、クモは悪役だろう。 「でもクモの御飯だよ」 「そうだよ。そのために網を作っているのだから」 やがて意見が一致して、このままほうっておくほうがいいということになった>
子どもの判断は、一見残酷なように見える。私もつい、蝶に救いの手をさしのべてやりたいと思うだろうが、かんがえてみれば、そんなことをしたら、今度はクモさんがかわいそうなことになる。やはり子どもの判断の方がいいのだろう。
自然界は弱肉強食の世界だ。チョウはクモに食べられ、そのクモは鳥に食べられる。そしてその鳥もときには哺乳類に食べられる。こうした食物連鎖で自然界は成り立っている。この現実は現実としてうけとめるしかない。
しかし、チョウを食べるクモは、実はチョウがいなければ飢え死にする。だから、クモはチョウに頼って生きているわけだ。見方を変えれば、チョウにすがって生きているクモは弱者なのかもしれない。見方によっては強者が弱者になり、弱者が強者になる。
だから、自然界で行われている競争もまた、見方を変えれば、多様な生命が共生する姿だと考えられる。チョウとクモも、クモと鳥も、食ういつ食われつしながら、ともかくもそれぞれの子孫を残し、この地上に多様でゆたかな自然を創りだしている。
大切なことは、蝶には蝶の生活があり、クモにはクモの生活があるということだ。私たちが自然と共生するということは、そうしたそれぞれの生活を尊重するということである。人間の一方的な価値観や自然観を持ち込んで、これに干渉することではない。
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