橋本裕の日記
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2004年10月31日(日) 人生を照らすもの

 医者が病気を治すのではなく、治すのは本人自身だ。医者はその環境を整えるだけである。このことは医療活動の根本だと思うが、病人にも医者も、ともするとこのことを忘れがちである。このことについて、野田俊作さんが昨日の日記「野田俊作の補正項」に「舞台の照明」と題して、次のように書いている。

<心身症や神経症の患者さんを診察して、お薬を出そうとすると、「薬で治るんですか?」と聞かれる。「薬は舞台の照明みたいなものです。今は照明が暗すぎて、どんな芝居をすればいいのかわからないので、もう少し明るくしてから、演出について話し合いましょう」と説明する。

 精神科・心療内科領域の病気だけではなくて、内科領域の病気でも原理は同じだと思っていて、薬が病気を治すわけではない。ただ、病気を治すための準備は整えてくれる。準備が整った時点で、生活の工夫について話し合わなければならない。

 神経症や心身症などの機能疾患は(ほんとうに機能疾患なのかどうか、若干の疑いはあるが)、生活が軌道に乗っていないことが原因だと思っていて、その人の「本来の」生活を見つけ出し、そこに戻るお手伝いをすれば治ると思い込んでいる。ゆっくりとその方向でお話ししている>

 医者や薬は人間が本来持っている生命力を快復させるお手伝いをする。そしてこのことは、教師と生徒の関係でも言えるのではなかろうか。人間は本来「学ぼうという力」を持っている。これが大樹のように枝を張り、葉を茂らせ、たくましく育っていくのを助けるのが教師や親の役割だろう。

 そのとき、生徒が進みやすいように照明を与えるのが、教師や親の役割である。照明は彼の周囲を照らすだけではない。時には彼の内部をも照らしだす。そして、彼に人間自身のもつ豊かな可能性と、その奥深さを自覚させる。本来の教育というのは、このように本人が成長していく上で必要な助言を与え、本人に充分な視力をあたえて、「人間と社会を照らし出すもの」でなければならないのだろう。

 生徒に国旗を礼拝させ、君が代を歌わせ、そのことを強制することが教育だと考える人たちがいて、そういう人たちが教育委員会の委員として我が物顔に教育行政を牛耳っていることに、多くの生徒をあずかっている一介の高校教師として、大いに憤りを感じている。


橋本裕 |MAILHomePage

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