橋本裕の日記
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赤坂御用地で開かれた園遊会で、将棋の元名人で、東京都の教育委員である米長邦雄氏と天皇の間に、次のような会話があったという。
「日本中の学校に国旗をあげて、国歌を斉唱させるのが私の仕事です」 「やはり強制になるというものではないからね」 「本当に素晴らしいお言葉をいただきありがとうございました」
米長邦雄さんは、石原知事同様に、強固なナショナリストで、大量の都教職員の処分を出した国旗・国家問題では、常に強権的権力の行使を主張した最右翼の存在である。彼は天皇制こそ日本が誇る文化だと思っている。
ところが、肝心の天皇から返ってきた言葉は、教育現場での「日の丸」の掲揚や「君が代」の斉唱について、「強制になるものではない」ということだった。これに、米長さんは驚いたに違いない。絶句するわけにもいかず、想定問答集の通り、「本当に素晴らしいお言葉」とその場をとりつくろったのだろう。
もっとも、皮肉屋の米長さんだから、精一杯の皮肉だった可能性もあるが、いずれにせよ、天皇主義者の彼が、尊敬する天皇からこうはっきりと「ノー」と言われては、面白いはずはない。これでは面目まるつぶれである。
米長さんの将棋は才気煥発で、以前はテレビでよく見ていた。しかし、解説など聞いていると、この人の唯我独尊的な人柄が鼻について、私はあまりその語り口が好きではなかった。だから、都の教育委員になって、「日本中の学校に国旗をあげて、国歌を斉唱させるのが私の仕事です」と言い始めても、この人ならやりかねないなと思ったものである。
戦時中、美濃部達吉博士の「天皇機関説」が批判されたことがある。天皇を神聖な存在だとする軍部や右翼によって、美濃部は糾弾された。そのとき、昭和天皇は側近にこう語っている。
「(天皇が現人神だという説に対して)肉体的には何もかわることはない。したがって機関説を排除するために、自分をうごきのとれないものに(神格化)するのは、精神的にも肉体的にも迷惑なことだ」
平成天皇は1933年生まれである。1945年の敗戦の時に12歳だった彼に、父親の昭和天皇が手紙を送っている。そこには、「我が国人があまりに皇国を信じ過ぎ」たことが敗戦の原因だとはっきり書いている。少しだけ引用してみよう。
「敗因について一言いはしてくれ。我が国人があまりに皇国を信じ過ぎて英米をあなどつたことである。…我が軍人は精神に重きをおきすぎて科学を忘れたことである。…軍人がバツコして大局を考へず進むを知つて退くことを知らなかつたからです」(「皇太子への手紙」)
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/ index7.html?now=20041028200257
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