橋本裕の日記
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2004年10月26日(火) 自己教育のすすめ

 子どもや他人にアドバイスをするのが下手な人は、結局、自分自身に対するアドバイスができない人であり、自分を伸ばすことの下手な人だということができる。他人の欠点をあげつらい、「ダメ」を連発する人は、自分自身に対しても同じことをしている。

 つまり、自分の長所をいかそうとしないで、短所ばかりに目がいき、またそれが気になって仕方がないので、何とかそれを矯めようとする。その試みはときには成功するだろうが、多くの場合、その成功も表面的なことが多い。

 人は誰でも、自分のなかに未熟で子どもらしい部分を持っている。あるいは、社会によって馴致されない野性的な部分をもっている。これを押さえつけ、圧殺するのが正しい生き方であり、文明的な方法であると考える人がいる。

 そういう人は、そうした抑圧的な方法で自分を教育し、他人をも教育しようとするだろう。私は現在、多くの学校で行われている教育もまた、こうした傾向を多分にもっているのではないかと考えている。

 そうした抑圧的な環境に身を置くことは、あまり望ましいことではないのだが、多くの子供たちにとって、これは避けられないことである。私自身も、そうした環境に長く身をおいてきた。そして、「ダメ」を連発する教師のもとで、ずいぶん萎縮した気分で、学校生活を送ってきた。

 幸いなことに、人間の中に潜んでいる生命力は、そうした抑圧的な環境でも、何とか生き延びるものだ。学校教育をとおして、多くの人々は知的好奇心を喪失し、自然や社会に対する興味や関心を喪失するが、しかし、完全に死に絶えることはない。

 少なくとも、子どもらしい好奇心や、初々しい子どもらしい感情は記憶として残っている。それを多くの人は悪しき記憶として圧殺しがちだが、もう少し寛容な目でながめてみると、その欠点とおもわれた子どもらしさこそ、貴重な生命の財産であることに気付くのではないかと思う。

 実のところ、多くの人の胸の奥にも、やはりそうした子ども心が息づいている。こうしたものはいくら抑圧され否定されても埋火のように生き残る。そして、それをもう一度蘇生させることで、また新しい人生を始めてみることもできるはずだ。

 学校や社会が与えてくれる教育には限界があるし、ときとしてそれは個人に対して暴力的な作用をおよぼす。すっかり自分を見失い、野性味を失って、馴致された文明人として生涯をまっとうすることしか念頭にないという人もいる。そうした人は、そうした人生を善良で貴いものだと考え、自分の人生を失敗だとは考えないだろう。

 私はそうした人を見ると、なんとなくゆさぶってやりたくなる。ファウストを悪の道に誘惑する悪魔のような気分を抑えきれなくなる。というより、その人の中にも住んでいるに違いない悪魔と、こっそり、楽しい会話をしてみたくなるのだ。


橋本裕 |MAILHomePage

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