橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
松本清張と石川達三は、私が大学生の頃に人気だった社会派の作者の双璧だろう。私もこの二人の作家の作品はあらかた読んでいる。社会体験に乏しかった私は、彼らの作品を読むことで、社会というものの実態をおよそ掴んでいたようなところがあった。
彼の作品そのものは私の好みではない。その理由は登場人物が類型的で、とくに深い文学的感動を与えられたというわけではないからだ。同様の印象は松本清張の小説にも感じられる。学生時代に読んだのは、やはり社会勉強の心づもりからだろう。
石川達三の作品で記憶に残っているのは、「風にそよぐ葦」「人間の壁」「青春の蹉跌」など、そのほとんどは戦後に書かれた戦争や社会の不条理をあばきたて、告発する作品である。貧しいブラジル移民をテーマに戦前に書かれ、1935年の第一回芥川賞受賞作になった「蒼氓」は、読んだという淡い記憶があるだけだが、これにもこうした社会的弱者に視点を置いた作品だといえよう。
石川達三は1937年12月の南京攻略作戦に中央公論社特派員として従軍している。そしてこのとき目撃した凄惨な戦場の様子を小説「生きている兵隊」で描いている。これが当局から「安寧秩序を紊すもの」とされ、有罪判決を受けた。
こうした経歴があるので、私は漠然と、石川達三という作家は戦前・戦後を通じて、左翼に同情的な民衆派の反戦主義者だと思っていたが、最近、佐藤卓己さんの「言論統制」(中公新書)を読んで、必ずしもそうではない一面のあることを知った。
たとえば「生きている兵隊」が有罪判決を受けた後、すぐに彼は「武漢作戦」を書き、ここで彼は一転して生き生きと躍動する帝国軍人の姿を描いている。そして彼はやがて日本文学報告会実践部長の要職についている。そしてこんな文章を書いた。
<極端に言ふならば私は、小説といふものがすべて国家の宣伝機関となり政府のお先棒をかつぐことになっても構わないと思ふ。さういふ小説は芸術ではないと言はれるかも知れない。しかし芸術は第二次的問題だ。先ず何を如何に書くかといふ問題であって、いかに巧みにいかにリアルに書くかといふ事はその次の考慮である。私たちが宣伝小説家になることに悲しみを感じる必要はないと思ふ。宣伝に徹すればいいのだ>(「実践の場合」文芸1943年12月号)
戦時中にこうした戦争協力の強力な発言を公にしていた石川達三が、それでは敗戦後どのようにこの戦争を総括したのか。「風にそよぐ葦」の中で、彼はこう書いている。佐藤卓己さんの「言論統制」から孫引きさせていただこう。
<近衛が人望を失ったのは、開戦の決意をなし得なかったからである。十月、十一月、国民はすべて開戦論者であった。東亜共栄圏はかくして出来上がるであろう。美しい虹だった! 青年たち、少年たち、婦人に至るまで英米を打倒することの美しさにあこがれていた。
葦沢、清原の冷徹な自由主義者が排斥される理由はそこにあった。事の正邪をわすれ正しい批判を忘れた国民の心の流れが、今では大きな勢いとなって進んでいた。かって国民を扇動した軍部自身、もはや民心の流れを防ぎ止める力をもたなかった。(略)
勝った時にはみんなが軍国主義者になってしまう。もしも敗けたらみんな反戦主義者になるだろう。それが庶民というものだ>
石川はこの小説を書いたのは、「戦時中の国家権力や軍部に対する私の小さな復讐であった」(経験的小説論)と告白している。たしかに、石川は「生きている兵隊」で当局から告発され、有罪判決を受けている。しかし、その後は、進んで戦争に協力し、宣伝部隊のなかで枢要な地位をしめていた。
戦後の石川はこのことにほおかむりしている。そればかりか、悪いのは軍部であり、その宣伝に踊らされた庶民であるという。自由主義を奉じていた良心的な出版社や作家・知識人たちは、そうした巨大な流れに呑み込まれ、抵抗したものの、圧倒的な力の前に破れた犠牲者だという。しかし、これは少し虫の良い言いぐさではないだろうか。
石川が「風にそよぐ葦」のなかで描く、陸軍の情報将校(鈴木情報官)の横暴や、「作家の受難時代」「出版の暗黒時代」は本当に存在したのだろうか。実はここに意外なデーターがある。主要78誌の総売上数統計を見ると、戦前の雑誌総売上のピークは何と1940年で、この年販売部数は前年度比で13.5パーセントも伸びていたのだという。佐藤卓己さんの「言論統制」から引用しよう。
<鈴木情報官の指導下で雑誌出版社はいずれも我が世の春を謳歌していた。雑誌に執筆する作家や文化人にとっても、それは「悪い時代」ではなかった。雑誌ジャーナリズムは、国策に棹さしていたわけで、そうした状況へのやましさから戦後になって自ら被害者を名乗るために「独裁者」を必要とした、とも考えられる。殉教者の聖痕をもった「言論の自由」の威光のためには、多数の「ユダ」よりもまず一人の「ピラト」が必要なのである>
石川達三は「小さな復讐」から書いたという。しかし、そればかりではなく、国策に棹さしていたやましさから逃れるために、自ら被害者であると訴えずにはいられなかった心理が考えられる。彼の小説が世間に広く受け入れられた背景のひとつに、同様な心理傾向をもつ多くの人々が、この小説の中に良心のささやかな慰安を見出したこともあるのだろう。
|