橋本裕の日記
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2004年10月22日(金) 無能で愚かな日本軍

 日中戦争やそれに続く太平洋戦争を振り替えってみると、軍人や官僚達がいかに無能で愚かであったかが分かり、なんともやりきれない思いになることが多い。たとえば、大成功のように言われる真珠湾攻撃でも、石油基地には一切爆撃をしていない。

 軍船をいくら破壊しても、そのとなりが修理ドッグだから、米軍はこれをたちまち修理することができる。しかし、そのすぐ隣の石油施設を爆撃していたら、アメリカ海軍はたちまち活動不能に陥り、太平洋における制海権を失っていただろう。

 日本がアメリカとの戦争に踏み切った理由の一つが、石油の問題だった。昭和天皇は戦後、石油が戦争の原因だったとまで言い切っている。アメリカから石油が供給されなくなったら、日本が世界に誇る軍艦はたちまち巨大な鉄クズになる。石油の備蓄があるうちに、アメリカと一戦を交えなければ、永久の敗北しかないという悲壮感が、当時の軍部や政府を支配していた。

 満州国を樹立した日本軍が、そこにとどまらずひたすら南下したのも、戦略的に見れば、南方の資源を手に入れたかったからである。火薬を作るは硝石が必要だがこれは日本にはない。そして何よりも石油である。こうして日本は鉱物資源や石油を求めて南下した。大国としての体面を保ち、戦争に勝ち抜くために、これは必要な作戦だと言われた。

 ところがよく考えてみれば、石油は満州にあるのである。これを開発すればよかったのだ。ところが、軍部は満州に多くの軍人と農民を送り込んだが、石油開発のための技術者を送ろうとはしなかった。そして、これを遠くの南方に求めたのである。石油が大切だと言いながら、これを開発しようという技術的な発想がなかった。一部の軍人にとっては、ただ戦線を拡大し、戦功をあげて、出世すればよかったのだろう。

 日本は日露戦争の軍資金をアメリカのユダヤ財閥に仰いだ。戦後、1905年9月、鉄道王として知られたユニオン・パシフィック鉄道のエドワード・H・ハリマンが、財閥の代表として日本にやってきた。満州鉄道を共同経営し、満州を共同開発するためである。日本政府はこれを受け入れ、ハリマンに内諾を与えながら、彼が帰国した後、一片の電報でこれを反故にしている。

 俗に言う「ハリマン」事件だ。国際信義から言っても、これは許されないことだし、これまで親日的だったアメリカの支配者達は、これで日本に不信感を持っただろう。そしてこれを機に、アメリカの世論はみるみる反日的になっていく。そして、翌1906年には日本を潰そうというルーズベルトも関わった対日戦争戦略計画としての「オレンジ・プラン」が策定されている。このことについて、岡崎久彦が次のように書いている。

「あの時に日本がハリマンの提案を受けていたらば、二十世紀の歴史はまるで変わっていたでしょう。アメリカの極東外交は、単なる領土保全、機会均等というお経だけでなく、日本をパートナーとして共同で満州経営を行う形をとり、また日本では、伊藤(博文)が健在だった時でもあり、第一次大戦の国際情勢の中で、対露、対支政策について、日米英の協調路線ができていた可能性は小さくありません。」(2002年5月1日付産経新聞朝刊)

 たしかに、日本がハリマン提案を受け入れていたら、世界史の展開はずいぶん違ったものになっていたに違いない。それが中国の人々の幸せに結びついたかどうかは別にして、満州国はアメリカの最先端の技術で近代化され、日本にも多くの恵みをもたらしたことだろう。日米英の同盟は強固なものになり、ロシアの脅威はもはや一掃されたに違いない。

 しかし、そうはそうはならなかった。それはそうした世界戦略を日本の指導者達が持てなかったからだ。そして戦後になって、「石油がなかったから戦争になった」という。石油を開発するために他国と協調しようという姿勢を持たなかったことが間違いだとは考えない。このことを反省しない以上、日本は同じ過ちを繰り返すことになる。

 もちろん、ハリマンの提案を受け入れ、アメリカと協調することが日本にとってベストであったかどうか、私は疑問に思っている。それは日本がアメリカと共同で中国の植民地支配に乗り出すことを意味するからだ。この問題は、現代の日米同盟のあり方とも深くかかわってくる。

(参考サイト)
「萬晩報」 041021 ビッグ・リンカー達の宴2−最新日本政財界地図(17)園田 義明
http://www.yorozubp.com/ 


橋本裕 |MAILHomePage

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