橋本裕の日記
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私たちが平生何気なく使っている言葉も、その語源をたずねてみると、意外な発見があったりして、考えさせられ、面白いものである。
たとえば、「無茶苦茶」という言葉は、お茶を出さないか、出してもやたら苦いお茶をだすことだそうだ。したがって、「無茶苦茶」とはひどい待遇のことで、これが転じて、デタラメという意味になったらしい。
ところで、このデタラメという言葉は、サイコロを振って、出た目で決めるということからできた言葉。こんなことをしていたら、人生を棒にふり、台なしにしてしまうが、ついでにこの「台なし」という言葉の語源に触れておくと、これは仏像を安置する台がないこと。台がなくては、仏像も威厳が保てず、御利益も期待できないというわけだ。
人生は芝居に例えられる。「芝居」の語源は、江戸時代にあちこちの村で歌舞伎が催されたが、それを人々は芝生の上に座って眺めたところからきているようだ。ついでに、「大根役者」は、大根のようにどんなふうに料理しても「当たらない」役者という意味だそうだ。
「村八分」というのは、冠・婚・葬・建築・火事・水害・病気・旅行・出産・年忌の十のつき合いのうち、葬と火事を除いた八の付き合いを禁止すること。村の掟を破ると、こんな仕打ちを受けたわけだが、二つだけ残されているのが救いだといえる。
「未亡人」というのは、「未だ亡びぬ人」ということ。この言葉の背後には、「夫が死んだら妻は共に死ぬべきだ」という封建的社会通念がある。だから、もともとは、本人がへりくだって自称する言葉だった。それが今では、他人が平気で使っている。
人生に不幸はつきものである。そして人の弱味につけ込み、足もとを見て、一儲けしようという悪い奴がいる。「足もと見る」という言葉は、船頭や駕籠屋、馬方などが、旅人の足もとを見て、疲れていると見ると、値段をつり上げていたことからきたらしい。あこぎな奴らである。
ついでに、「あこぎ」は三重県津市の阿漕ヶ浦からきた。伊勢神宮の御領で禁漁区だったが、密漁者が絶えなかった。ここから、悪事を重ねることを「阿漕」というようになった。高利貸しの金貸し商人など、その最たる者だろう。
「銀行」はいうまでもなく英語のバンクのことだが、これは明治のはじめに福沢諭吉らが考えて作った訳語だ。「金行」という案もあったが、発音しにくいので、「銀行」になったのだという。訳語ではないが、「ぐっすり」というのは、「Good Sleeping」の略らしいから、「ぐっすり眠る」というのは、Sleepingの重複になる。
「ミーハー」 の語源は昭和初期に流行した「みいちゃん、はあちゃん」だとか。これは「みよちゃん」「はなちゃん」など、女子の名前の頭文字からきているという。今でも流行に流されやすい新しがりやの人を指して、ミーハーというが、昭和初期にも流行にかぶれ、結構飛んでいた女性達がいたのだろう。そんな女性達を、「みいはあ」と呼んだわけだ。
「キヨスクKiosk」はトルコ語で「あずまや」という意味だそうである。ここから「小型の店」という意味になった。鉄道弘済会で愛称を募集し、1897点の応募の中から選ばれた名称だそうだ。
「まとも」は、舟の艫(とも)から吹く風を「帆」が「まとも」に受けるのが語源で、「差し金」は文楽の人形や、歌舞伎で蝶や鳥を操るための仕掛け棒らしい。「元帥」は仏教の「明王」からきたという。だから「大元帥明王」などいう。
雷がなると、「くわばら、くわばら」と呪文のように唱えるが、一説によると、この「くわばら」というのは菅原道真の所有地であった京都近郊の「桑原」という土地の名前だそうだ。雷を道真の怨霊に見立てて、「ここは、あなた様の領地の桑原です」と騙そうとしているわけだ。雷から転じて、怖いものに遭遇したとき、「くわばら、くわばら」というようになったという。
正月にお供えする「かがみ餅」の「かがみ」は「蛇」の古語だという。岐阜県に各務原(かがみはら)という地名があるが、これは蛇の原ということだ。大小の餅を三段に重ねたところが、蛇のとくろを巻いたかたちをしている。奈良の三輪山も、蛇の形をしているので、こう名付けられた。そして、古代人の信仰のよりどころだった。
田んぼに立つ「かかし」も、「へび」という意味だ。蛇はイタチなどから田んぼを守ってくれる大切な農耕の神様だった。だからこれを大切にして、神様として崇めたのである。日本に限らず、蛇を神として祭る風習は世界中にある。
ところで「神」という漢字は、中国ではその昔は「申」と書いた。これは「稲妻」をあらわす象形文字である。「申」は雷に象徴される自然の恵みと威力をあらわす言葉だったが、やがて「申す」という意味でも使われるようになったので、神を祭る祭壇をあらわす「示」を添えて「神」と書くようになった。
日本語でも「雷」は「神鳴り」であり、「雷光」は「いなずま」という。古代の日本人は、神の放つ稲光によって稲が受精し、ゆたかな秋の実りがもたらされると考えた。そうした古代人の信仰が、私たちが何気なく使っている「いなずま」つまり「稲の夫(つま)」という言葉の中に残っている。
(参考文献・サイト) 「常用漢字解」 白川静 平凡社 「語源由来辞典」 http://gogen-allguide.com/ 「語源辞典」 http://www.geocities.jp/honmei00/zasugaku/gogen.html
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