橋本裕の日記
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去年の暮れだったが、若狭小浜にぶらりと出かけた。小浜は小学生時代にしばらく住んでいたなつかしい土地である。二つの川に挟まれて城跡があり、そこに昇ると、若狭湾が一望できる。小浜に来るたびに城跡にきて、そして誰もいなければ小声で「荒城の月」や「我は海の子」を歌う。
その城跡の近くに私が通った小学校があった。かっての通学路を歩いていると、橋のたもとから下る坂道で、たまたま自転車で坂を登ってくる少年と少女にすれ違った。二人ともまだ小学校の高学年という年頃である。
少年に後ろの少女が「もう少し待って」と声をかけた。この日本語はおかしいのではないかと思ったが、それより私が驚いたのは、少女の声が玲瓏と美しかったことである。若狭の訛があったから、微妙に標準語のアクセントからずれていたが、そこがまたよかった。
私は少し道をよけて二台の自転車と擦れちがったが、なんとなく振り返って、その少女が風の中を橋の上に消えていくまで眺めていた。声だけではなく、すがたも美しく、表情もやさしかった。この少女に出会うことで、小浜という小さな港町がいよいよ好きになった。
玉響 昨夕 見物 今朝 可 恋物 (万葉集巻11−2391)
たまゆらに 昨日のゆうべ 見しものを 今日の朝に 恋ふべきものか
「玉響」は「たまかぎる」とも読むらしい。また、折口信夫は「たまさかに」という言葉をあてはめている。このほかに「たまたまに」とか、いろいろな説があるようだ。私は「たまゆら」という言葉が好きなので、この歌はこう読んでいる。しかし、「たまかぎる」というのも捨てがたい。こんな名歌がある。
朝影に 我が身はなりぬ 玉かぎる ほのかに見えて 去にし子ゆゑに (巻12−3085) たまゆらに見えて去っていった少女によせる思いを詠んだ歌である。柿本人麻呂の若い頃の歌だと思われるが、口ずさんでいるうちに胸がときめいてくる。
「朝影」は朝日によってできる細長い影で、ここでは身のやせ細った様子を形容している。「玉かぎる」のカギルは、カグヤのカグと同根で、玉がほのかに光を出すところから、「ほのか」「はろか」「夕」「日」に掛かる枕詞になったようだ。
古代人は玉に魂が宿ると考えており、玉が触れ合うとき、中から霊魂が出てくると信じていた。「たまかぎる」という言葉にはそうした神秘な時代の響きが残っている。こうした力のある言葉によって、「去(い)にし子」へのほのかではかない思慕が、玲瓏と清々しく描き出されている。
学生時代から万葉集に親しんできた。おかげで、ずいぶん情操がゆたかになった。「たまかぎる」とか「たまゆら」という美しい日本語に出会えたことは、少し大げさかも知れないが、私にはそれこそ「いのち」のあらたまるような、人生の奇跡に思えたものである。
たまゆらの 少女はやさし ほのかなる 笑みを残して 風に過ぎゆく 裕
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