橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
ガウスといえば、ニュートンやアインシュタインと並ぶ何世紀に一人の天才だが、他人の業績についてとても冷淡な人という印象がつきまとう。ボヤイやロバチェフスキーの論文を無視したこともそうだが、何と言っても最大のポカは若き天才数学者アーベルの論文を無視したことだろう。
ノルウエーの若き数学者アーベル(1802年〜1929年)は世界で最初に「一般の5次方程式には代数的な解が存在しないこと」を証明し、その道の大家であるガウスにその論文を送っている。実はこれは後に分かるのだが、数学の歴史を変えるような重要な論文だった。
ところが、アーベルは不注意にも「代数的」という言葉を表題に書かなかった。実はガウスの偉大な業績の一つが、「n次方程式はn個の複素数解をもつ」(代数学の基本定理)ということを証明したことだった。方程式は必ず解を持つことを証明したのがガウスだった。自分の偉大な業績を否定されたと思ったガウスは、この論文の表題を見ただけで怒りだし、「馬鹿げている」と言って、中味を読まなかったという。
アーベルはガウスから無視されたことで、数学界へのデビューも果たせず、職にもめぐまれずに貧窮の中で病を得て死んだ。享年26歳8ケ月だった。哀れなことに、アーベルの死後二日して、友人から「ロシアの文部当局は、ようやく君を大学に招くことに決定しました」というお祝いの手紙が届いた。
もし、ガウスが3年前にアーベルから届いた論文を読んでいたら、おそらく彼はノルウエーの片田舎で野垂れ死にすることはなかっただろう。彼はひよっとしたらガウスのお膝元のドイツの大学で正規の職を得ていたかもしれない。アーベルはそれを望んでいたし、そうすればこの後に起こるガロアの悲劇もなかったかもしれない。
アーベルが死んだ1829年、18歳の青年ガロア(1811年〜1832年)が、パリの科学アカデミーへ「方程式論に関する論文」を提出している。アーベルは「五次方程式が代数的に解けない」ことを証明していたたが、ガロアは「5次以上のすべての方程式が代数的に解けない」ことを証明した。そしてその証明を当時誰も考えなかった「群論」を用いたとても斬新な方法で行ったのである。
ところが、論文を託された科学アカデミーの数学者コーシーはこの論文を紛失してしまった。ガロアは失望したが、翌年再び論文を書き上げて、科学アカデミーへ再提出した。ところがこんどはその論文を受け取った数学者のフーリエが急死して、またもや論文は行方不明になってしまった。
数学の女神はとんだいたずら好きだ。しかし、そのいたずらはとほうもない不幸を一人の青年にもたらした。ガロアはこのあと政治活動に深入りし、刑務所に収監された後、1832年5月26日、謎めいた決闘に敗れて死んだ。享年20歳7ケ月だった。ガロアは死の前にいそいで論文を書き、友人に託した。そしてその最後を次のように結んでいる。
「このわかりにくさのすべてを解読して、前進を手にする人々が出現するものと、ぼくは夢見ている」
あまりに進んでいたために、同時代の人からは評価されなかったアーベルとガロアだが、やがて半世紀も経ってから、彼らの理論が数学界で驚きの目でうけいれられることになる。そして数学の新しい世紀がここから生み出されることになった。ガロアの夢はとうとう正夢になった。女神は結局彼を見捨てなかった。
|