橋本裕の日記
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| 2004年09月24日(金) |
三角形の内角の和はいくらか |
直線Aがあるとしよう。この直線の外の点をとおり、直線Aに平行な直線は何本引くことができるだろうか。おそらく、一本という答えが返ってくるだろう。私たちが学校でならう幾何学(ユークリッド幾何学)にはそう書いてある。
これが有名なユークリッドの第5公準「平行線の公理」である。公理というのはそもそもものを考えるときに前提となるもので、すべての議論はこの上に組み立てられる。つまりは家を建てる土台のようなものだ。
この土台の上に、柱や庇に相当する「定理」が築かれる。「定理」は「公理」から導かれるので、「証明」が可能だが、土台である「公理」は証明することができない。「平行線の公理」もそのような証明不可能なものだ。
ユークリッドのこの「平行線の公理」を疑う人はまずないだろう。なぜならそれは他の4つの公理と同様に、ほとんど「自明」なことのように思われるからだ。参考のために、5つの公理をすべて掲げておこう。
1)任意の点から任意の点に直線を引くことができる。 2)この直線を両方向に延長することができる。 3)任意の点を中心にして、任意の半径で円を描くことができる。 4)すべての直角は等しい。 5A)1直線上にない点を通って、その直線と平行な直線が1本だけ引ける。
いずれもあきらかなことである。しかし、5番目の「平行線の公理A」については、これを疑う人がいなかったわけではない。その代表が「数学の帝王」とよばれるヨハン・カール・フリードリッヒ・ガウス(1777〜1855)である。
偉大なガウス先生はこう考えた。ユークリッド幾何学によれば、その三角形の内角の和は180度でなければならない。これは「平行線の公理A」を使えば、完璧に証明されることだ。しかし、「平行線の公理A」が成り立たないような世界では、三角形の内角の和は180度とはかぎらない。
たとえばもし世界が閉じていたら、つまりこの地球表面のような有限な球面だったら、平行線は存在できないし、三角形の内角の和も180度よりも大きくなるだろう。そうした世界の幾何学では5番目の公理は次のように書き換えられなければならない。
5B)1直線上にない点を通って、その直線と平行な直線は1本も引けない。
あるいは、この世界が鞍のようにへこんだ無限に広がる双曲面だとしたら、三角形の内角の和は180度より小さくなり、「平行線の公理A」はつぎのように書き換えられなければならない。
5C)1直線上にない点を通って、その直線と平行な直線は無限に引ける。
こうして考えると、ユークリッドの幾何学だけが正しいわけではないことがわかる。それでは、私たちが棲んでいるこの世界が閉じている可能性はないのだろうか。この疑問を解決するにはどうしたらよいか。
ガウス大先生はアルキメデスやニュートンがそうであったように、単なる思索好きの数学者ではない。天文台の台長を努めたり、磁気の研究で偉大な業績を上げた自然科学者でもあった。さっそく彼は遠く離れた3個の山の頂に観測点を作り、この3点を頂点とする巨大な三角形で実際に内角の和を観測した。
その結果は誤差の範囲内で、内角の和が180度だと認められた。ガウスはこの結果に少し落胆したかも知れない。なぜなら、ガウスはすでにユークリッドの平行線公理を否定するような新しい幾何学の構想をもっていたからだ。しかし実験に失敗したからには、こういう非常識な考えを発表して世間を騒がせるわけにはいかない。彼はそう考えたようだ。
しかし、やがて、ガウスの怯懦を笑うように、ヤーノッシュ・ボヤイ(1802〜1860)、ロバチェフスキー(1793〜1856)といった若い数学者が次々と「平行線の定理」を否定する新しい幾何学を発見して、論文を発表する。ちなみに彼らの発見したのは、ここでいうC型(双曲面幾何学)であった。
ところが、彼らの論文はほとんど世間から見向きもされなかった。たとえば、ロバチェフスキーの論文は学会誌に取り上げられたが、書評子にから「判定を下す必要もないほど馬鹿馬鹿しい論文だ」と酷評されただけだった。彼らの幾何学はまったく常識外れであり、荒唐無稽で学問上も価値のないものとして葬られた。
ただ一人、彼らの論文を正しく評価したのがガウスだった。しかし彼もまた結局は、二人の論文を熱心に読んだあと、「実はそんなことはもう自分が何十年も前に考えたことだ」という消極的な反応しか示さなかった。たとえば彼はヤーノッシュの父親ファルカシュ・ボヤイ(数学者)に宛てた手紙にこう書いた。
「ご子息の論文を誉めるわけにはいきません。なぜなら、それは私自身を誉めることになるからです。論文の全内容、ご子息がとった道、結果、どれもこれも私自身が30年も前から行ってきた熟考の結果と一致しているからです」
父親からガウスの手紙を見せられたヤーノッシュは絶望し、猜疑心と妄想から、粗暴な振る舞いが目立つようになり、ついに人生への失望と落胆の中で後半生を終えた。そして、ロバチェフスキーもまた、なんらその業績が評価されることもなく、ロシアの辺境の地で無名のまま生涯を終えている。彼はガウスが友人にあてて次のような手紙を出していることもついに知ることがなかった。
「最近、機会があってロバチェフスキーの『平行線論』を再読しました。ごぞんじのように私は54年前からこれと同じ確信を持っていました。ロバチェフスキー氏の仕事には実質的に新規なものは見当たりませんが、その展開は私自身のものとは別の道で、しかし純粋に幾何学的精神にのっとったマイスターの芸といえます」
ロバチェフスキーがこれを聴いたらどんなに喜んだことだろう。しかしこうしたガウスの見解は決して彼らが存命中に公表されることはなかった。なぜガウスは学会にこれを公表して、彼らの業績を宣揚することをしなかったのだろう。「みずからを誉めることになるから」という理由だけでは、何とも納得がいかないのである。(つづく)
(追伸) お彼岸の日の昨日、妻と娘と3人で、岐阜県にある神崎川の支流の円原というところへ遊びに行った。伏流水がわき出ている清流の里である。そこでおむすびをたべ、わき出している水をペットボトルに詰めた。軟水なので、生水でも飲める。口当たりがよい。
自然の中に身を置くだけで、最近は清々しい気持に満たされる。とくに、深い緑の中の清流は格別である。ただ、水を汲みに川を渡ろうとして、妻が足を滑らせて、清流の中に落ちた。全身ずぶぬれになったが、幸い車に私のジャージやシャツが積んであったので着替えができた
清流で思いがけない「みそぎ」をした妻に、「冷たかっただろう」と訊くと、「びっくりして、冷たいとも思わなかった」と笑顔で答えた。思いがけないハプニングがあったりして、思い出に残る、とても爽やかな一日だった。
夏過ぎて法師蝉鳴く山里の 清き流れにおむすびうまし 裕
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