橋本裕の日記
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ひろさちやさんが、最澄と空海について、面白いことを書いていた。最澄は「仏のなかに我がある」と考えるが、空海は「我の中に仏がある」と考えたという。なるほどうまいことをいうなと感心した。.
伝教大師・最澄(767〜813) が804年に入唐して日本に持ち帰ったのは、天台教学だった。これは法華経を諸経の中心と見る大乗仏教の一派である。これに対して、弘法大師・空海(774〜835)が持ち帰ったのは「大日経」を最高聖典とする「密教」である。
空海によれば、仏教は顕教と密教に分かれる。顕教とは経典に現れている教えで、小乗仏教と大乗仏教に分かれている。しかし、これらとは別に、経典には語られていない秘密の教えがある。それが密教と呼ばれるものだ。空海は弟子にこう語った。
「密教の奥義は、文章を得ることのみを尊しとはしない。ただ、心から心に伝えることが大切である。文章は、糟粕(かす)や瓦礫(がれき)に過ぎない。もしそうした文章を得てそれのみを愛すれば、純粋な要点は失われてしまう」(性霊集巻の10)
最澄は経典のなかに真理が語られていると考えた。しかし、空海は真理は自らの心の中にある、それを修行によって明らかにしなければだめだと考えた。だから、最澄のように経典をいくら学問的に研究しても本当のところ(密教)はわからない。いな、むしろますます真実の法から遠ざかるばかりだと考える。
空海は若い頃、大学に学んだが、やがて中退し、山水をあまねく渉猟した。そうした中で、深く自得するところがあったのだろう。後年、空海は仏教の修行は深山に限ると考え、山岳信仰の霊場であった高野山に修行の場を求めた。816年6月19日、空海は朝廷に「高野山を請う上奏文」を提出している。 「壮麗たる伽藍や僧坊は櫛の歯のごとくに、いたるところに並び立ち、教義を論ずる高僧は寺ごとに聚をなしております。仏法の興隆ここにきわまった感があります。ただしかし、遺憾に覚えることは、高山深嶺で瞑想を修する人乏しく、幽林深山にて禅定するものの稀少なことでございます。これは実に、禅定の教法いまだ伝わらず、修行の場所がふさわしくないことによるものであります。いま、禅定を説く経によれば、深山の平地が修禅の場所として最適であります。
空海、少年の頃、好んで山水をわたり歩きました。吉野山より南に行くこと一日、さらに西に向かって去ること二日ほどのところに、高野とよばれる平原の幽地があります。はかりみまするに、紀伊の国伊都郡の南に当たります。四方の山は高く、人跡なく小道とて絶えてございません。いま、上は国家のために、下は多くの修行者のために、生い茂っている笹やぶを刈りたいらげて、いささか修禅の一院を建立したいと思います」
ところで空海が持ち帰った密教なるものの正体は何か。それはインド仏教がその土着のヒンズー教の神々と習俗し土俗化した末路の姿に他ならない。インドの仏教は、釈迦が唱えた小乗仏教から大乗仏教へ、そして、やがてはインド古来の土着的な呪いの宗教へと姿をかえていた。その最新の仏教バージョンが「密教」だったわけだ。だから「密教」ほど本来の釈迦仏教と遠いものはない。
しかし、当時の仏教界は、インド伝来の最新の「仏教」に魅力を覚えた。どうじに、何やらそこに懐かしい匂いをかぎつけた。なぜなら、それは日本の民間信仰の世界にあまりに似ていたからだ。自然の中から生まれてきたインドの古い神々が、そのまま日本の古い神々に重なったせいだろう。こうして、空海の開いた真言宗は神道に溶け込み、日本の土俗的な山岳信仰とも融合して、ここに神仏習合という独特な信仰世界をもたらした。
名は体をあらわすと言うが、最澄は「もっとも澄む」と書く。人柄が高潔で、小事もゆるがせにしない性格の人なのだろう。東北の会津にいた法相宗の徳一から論争を挑まれたときも、これに律儀に答えて、何やら息の詰まるような論戦を展開している。
ところが空海は、その名の通り、「空と海」のように広大で茫漠としており、とりとめがない。徳一から論争を挑まれても、「そなたの説も立派である」と持ち前の包容力ではぐらかしている。弟子によると空海は笛や太鼓のように、相手によって変幻自在、大きくも小さくもなるという。小うるさい議論などより、深山幽谷に遊んだほうが余程修養になると考えたのだろう。
空海にとって修行とは、自然の中に身を置き、自然と一体となることで、本来持っている宇宙のエネルギー(仏性)を自己の中にわき立たせることであった。最澄のように学問を究めることで、何か得ようということではなかった。妄念や煩悩を修行で絶とうということでもない。もっとダイナミックで、パワフルな活力を得ることだった。
空海は「一切経開題」で「本心は主、妄念は客なり」と書いている。本心をしっかり持った上で、煩悩や妄念も客として大事にもてなそうという。こうした人生に対するおおらかさが、空海の魅力なのだろう。日本の仏教がたんなる小難しい学問ではなく、人生を生きるための独自なパワーを持つ信仰に生まれ変わったのは、空海という天才によるところが大きい。
ひろさちやさんは、空海は日本人ではなく、地球人でもなく、「宇宙人」だったという。その意味は、彼が宇宙の心を持っていたということだ。そして実は私たちも、実は日本人であり、地球人である前に、宇宙人なのだ。空海の教えは、我々も宇宙人であれということだ。そうした広大な心を持って生きると、人生がかわってくるに違いない。
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