橋本裕の日記
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たまたまラジオの番組で聴いた話だが、樹木葬というのがあるそうだ。生前、樹を植えておき、死んだらその根元に骨を埋めてもらう。縁者は命日に、その樹を訪れて、死んだ人を偲ぶ。夫婦で木を植えて、ともにそこに葬られるようなこともあるようだ。こういうことは、生前から死を意識しなければできないことだ。
私も50歳を過ぎた頃から、死を強く意識するようになった。いつ死が訪れてもよいように、身辺や気持を整理しておこうという気持になった。これは自分自身の死についてばかりではなく、肉親や友人たちの死についても同じである。
もとより、私は死後の世界や霊魂などというものを一切信じていないので、死そのものに恐れはない。ただ、この世から未来永劫、自分という者がいなくなることだと思っている。余計な心配など何もない。
死ぬことはなるべく避けたいし、健康で長生きしたい。しかし、未来永劫、生き続けたいかと問われれば、とんでもない。適当な時期が来たら、潔くこの世にお別れをして、安らかな死を迎えたいと思う。
死は永遠の安らぎであるから、基本的に歓迎すべきものだ。それはこの世に生まれてきた者が最後に味わうことができる楽しみであり、ご馳走だと思っている。しかし、生あるものが息をひきとるのは、そうたやすいことではない。断末魔の苦しみを軽減し、やすらかに死に臨むこと、これは多くの人が願ってきたことだ。
安楽かどうかは別にして、一番自然な死に方は何かと問われたら、それは餓死することではないかと思う。動物の場合は歯が抜け落ちたり、肢体が自由を失って、物が食べられなくなれば、それが即ち死である。人間の場合も、昔はそのような死に方がふつうであった。
たとえば、原ひろ子の『ヘヤー・インディアンとその世界』(平凡社)には、厳寒の雪原を移動する生活に耐えきれなくなったインディアンの老人が、移動していく家族や隣人についていくのを断り、キャンプ地に一人残って静かに死を迎えるエピソードが書かれている。
人々は老人と抱擁を交わしたあとで、その地をあとにする。そして、1ヶ月後に帰ってきて老人の遺体を収容する。インデアンたちは守護霊をもっていた。霊に教えられて自分の死期を知った者は、親族を集めて思い出話などをし、絶食して死を待つ。そして、霊の助けによって「よい顔で死ぬ」ことを願うのだという。
餓死という「自然死」を人為的に行うのが「絶食死」である。古来から、多くの賢者たちもまた、自分の死期を悟ったとき、絶食による死を選んだ。たとえばインドのジャイナ教の聖者は誰もがこのような死を選んでいる。
中国でも多くの賢者が食を断って死んだ。たとえば、17世紀半ばの儒者、劉宗周は68歳の時、絶食して死んだ。彼は弟子3千人をかかえる大学者だったが、10日間はお茶だけを飲み、10日間は一滴の水も飲まず息絶えたという。
その間、寝台のまわりの知人や弟子達とともに会話と作詩にふけったという。「門人と問答すること平時のごとし」と伝えられている。実際、死の前日に作ったという詩を読んだことがあるが、じつに素晴らしいものだった。彼もまた、門人達に見守られるなか、「よい顔」をして死んだことだろう。
日本でも、多くの高僧たちが絶食死を選んでいるが、なかでも有名なのは空海であろう。彼は死の四ケ月前、弟子たちを集めて、「吾、入滅せんと擬するは今年三月二十一日寅の刻なり、もろもろの弟子等悲泣するなかれ」と告げた。そして絶食して、予告通り、835年3月21日寅の刻に、高野山で即身仏となった。
こうした聖人たちのような立派な死に方ができればすばらしいが、私が憧れているのは、インデアンの老人や、あるいは深沢七郎が描く「楢山節考」の主人公のおりん婆さんのような死に方である。とくに雪の楢山に欣然と死に赴くおりん婆さんの姿の中に、私はある懐かしい法悦を覚える。そしてわが生涯もかくあれかしと願う。
願わくば風のみ渡る草原の 月の光りに我を捨てたし 裕
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