橋本裕の日記
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2004年09月08日(水) 人生への問いかけ

 オウム真理教の松本智津夫が「教祖」として多くの信者たちに君臨したのは、彼自身が発する何かの強力なオーラがあったからだろう。信者の中には東京大学の大学院で素粒子を研究していた豊田亨のような知的エリートもいた。

 早稲田大学大学院を卒業した広瀬健一は自動小銃を製造し、さらにはサリンの製造にも成功している。彼は大学、大学院で自然科学を学び、物理法則を熟知していた。数学や論理的思考にも長けていたはずである。

 にもかかわらず、「空中浮揚」を売り物にしている教祖に心酔し、教祖の指示に忠実に従って、ついにはサリンを地下鉄に持ち込んで多数の一般市民を死にいたらせている。いったい彼らに何が起こったのだろうか。いったいどんなオーラを松本智津夫が発していたのだろうか。

 ここで先に手品の種明かしをしよう。じつは私たちが学校で学んでいることとは別に、もっと大切な「人生への問いかけ」がある。ところが、多くの人々はこの「問いかけ」を忘れている。そして学校の教師も親も、だれもこの問いかけを真剣に問おうとはしない。

 ところが、たまにこの問いかけを真剣に問いかける人たちがいた。ソクラテスがそうであり、釈迦やキリストがそうだった。こうした人たちは「人生の教師」と呼ばれている。この世のなかに、いかにパンを得るかという現実的な問の他に、もっと種類の違う問いかけが存在することを彼らは教えてくれた。

 松本智津夫もまた、こうした「人生への問いかけ」を信者達に問いかけたのである。そして、世の中にそうした「問いかけ」があることを初めて知った人たちのなかから、彼を偉大な教師として尊敬する者があらわれた。そうした問いかけの大切さに気付いた彼らが、その重大さを知らせてくれた男に釈迦やキリストのようなオーラを感じるのも無理はない。

  しかしここで問題は二つある。一つは彼らが松本智津夫に出会うまで、人生への問いかけを真剣に考えたことがなかったことだ。そしてもう一つ、これが決定的だと思うのだが、その教祖がその問いかけについて、自分であれこれ考えることを弟子達に禁じたことである。松本智津夫が人類の偉大な教師と違っているのはこの点である。

 幹部の一人、石井久子は法廷で、「麻原さんが言っているんだから、そうなんだと思った」とくりかえしている。豊田亨は「自分の考えを持つこと自体が、自己の煩悩、汚れだから、私たちはつとめて考えないようにしていた」と証言している。

 松本智津夫は「ものを考えること」をではなく、「ものを考えないこと」を信者達に要求していた。それが「悟り」への道だという。そして信者達はそれを信じて、「自分でものを考えること」を放棄してしまった。そしてただ教祖のいうがままのロボットになったのである。

 こうした信者達を見て、私たちはどこか異常だと思うだろう。しかし、実のところ、この異常さが私たちの日常を覆っていることにはあまり気付かない。私たちは大学や大学院で、高度な知識や技術を学ぶことはできるが、「自分でものを考える」ということだけは学ばない。

 広瀬や豊田らの知的エリートには、「自分がどのように生きたらよいのか」という信念がなかった。だから、松本智津夫のような男に、人生について問いかけられて、立ち往生してしまうのである。

 一方で、松本智津夫は知的エリートのこの弱さがよくわかっていた。そして、彼自身はひとり「人生の意味」を解し、「信念を持って決断する」ことを演じ続けることで、尊師としての威厳とオーラを独占することができたのである。


橋本裕 |MAILHomePage

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