橋本裕の日記
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明治維新とは何であったか。ひとつの答えは、武士階級をなくすことであった。これを武士階級のなかでも下層にあった人々が行ったわけだ。どうしてこれが可能だったのか。それは社会にとってもはや武士などというものが無用の長物になっていたからだ。
ところが、武士達は自分たちが無用の長物だとは思いたくない。だから、自己の存在を正当化するために、「忠義」などということを強調し、いろいろとむつかしい理屈をいう。今はやりの「武士道」などというものも、大方はこうして生まれたわけだ。
三井財閥の三代目、三井高房は「町人考見録」に、「武士は計略をめぐらし、勝つことをもっぱらとす。これ軍務の戦いなり。町人はほどよきに見合わせ、金儲けをして残銀を得んと思へども・・・・」と記している。そして、こんなことも書いている。
<商人はその極まりたる事もなく利益次第、欲次第、働き次第にて、風水旱の患もなく、年貢もなく、公役もなく、誠に当世にては上もなく勝手を得たるものなり>
士農工商は建前で、商人は一番豊かであった。武士が藩にしばられ、農民が土地に縛られているなかで、町人は経済活動の自由を得て、自分の才覚次第で巨万の富を得ることもできた。そしてその富によって、実質的には武士をも支配していた。
明治維新のときも、これらの豪商が維新政府側についた。薩摩や長州が強くなったのも、彼らの経済援助があったからである。明治維新は表向きは武士によって行われたように見えるが、やはり背景として、商人階級の隠然とした力が働いていたと考えなければならない。
その証拠に、明治維新で一番利益を受けたのは商人たちだった。三井や三菱という豪商が、やがて財閥となって日本を支配していく。こうした豪商による日本支配を面白く思わない人々がいた。それは没落した武士達である。
彼らは反乱を起こしたが、これも政商達の支援を受けた明治政府の圧倒的な力の前に、西郷隆盛の「西南の役」を最後に影を潜めた。そして世の中は豪商たちの手に委ねられた。明治時代と言えば「天皇制」が確立され時代であり、ともすれば天皇制イデオロギーですべてを見てしまいがちだが、そうすると時代の本当の支配者が誰であったか見誤ることになる。
昭和に入って、大不況がおそいかかると、財閥たちはこれをのりきるために、海外侵略を考えるようになった。戦争によって生じる軍需景気をあてにするようになった。しかし、これは皮肉にも、軍部の独裁を生んだ。そして、5.15事件、2.21事件によって、ふたたび「武士階級」が復活し、忠君愛国の「武士道」が叫ばれる時代になった。
そしてその先に、敗戦があり、武士達は完全に姿を消した。そこでふたたび、商業が復興し、財閥が力を得て、今日の経済大国が築かれたわけである。ところで、最近、ふたたび「武士道」が世の中にもてはやされるようになった。歴史は繰り返すのだろうか。
(参考文献) 「日本資本主義の精神」 山本七平 光文社
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