橋本裕の日記
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| 2004年09月01日(水) |
軍部を批判する地方紙 |
戦時中、昭和6年の満州事変以来、朝日新聞の論調が一変したが、そうした中にあって、地方の新聞のなかには戦争や軍部にあくまで抵抗するものがあった。たとえば昭和8年6月11日の信濃毎日新聞の評論の題は、何と「関東防空大演習を嗤う」というものだ。「朝日新聞の戦争責任」から引く。(以下の引用も同じ)
<・・・将来、もし敵機を、帝都の空に迎えて、撃つようなことがあったならば、それこそ、人心阻喪の結果、我はあるいは、敵に対して和を求むべく余儀なくされないだろうか。・・・
投下された爆弾が火災を起こす以外に、各所に火を失し、そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ、関東大震災当時と同様の惨状を呈するだろうとも、想像されるからである。しかも、こうした空襲は幾たびも繰り返される可能性がある。だから、敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北そのものである。・・・
帝都の上空において、敵機を迎え撃つような作戦計画は、最初からこれを予定するならば滑稽であり、やむを得ずして、これを行うならば、勝敗の運命を決すべき最終の戦争を想定するものであらねばならない。特にそれが夜襲であるならば、消灯してこれに備うるようなことは、却って、人をして狼狽せしむるのみである。・・・>
この論評に軍は激怒し、地元の軍人会がこれを書いた主筆の桐生悠々の退職と社長名の謝罪文の掲載を求めた。不買運動を起こして、新聞を潰すといわれ、新聞社はやむなくこれを呑んだが、桐生は新聞社を退社した後も、雑誌「他山の石」を死ぬまでの8年間刊行し続け、軍部批判はやむことがなかったという。
もう一つ、福岡日日新聞の昭和7年5月16日の社説をとりあげておこう。前日に起こった5.15事件についての論説である。
<今回の事件に対する東京大阪等の諸新聞の論調を一見して、何人も直ちに看取するところは、その多くが、何ものかに対し、恐怖し、萎縮して、率直明白に自家の所信を発表し得ざるかの態度である。 言うまでもなく、もし新聞紙にありて、論評の使命ありとせば、このような場合に於いてこそ、充分に懐抱を披瀝して、いわゆる文章報国の一大任務を完すべきである。然らずして、左顧右眄、言うべきを言わず、為すべきを為さざるが、断じて新聞記者の名誉ではない。・・・・>
福岡日日新聞は一年後の昭和8年5月16日の社説でも、5.15事件を振り返り、「憲政かファッショか、5.15事件一周年に際して」と題して熾烈な軍批判を展開している。
<・・・吾々は、明治大帝が、千載不磨の大典として、吾々に下し賜える帝国憲法を護持して、今後益々日本憲政の発展を図るべきか、それとも伊太利に於いて、ムッソリーニが敢行しているように、独逸に於いてヒットラーが模倣しているように、それを模倣していわゆるファッショに走るべきか、この問題の解決を迫られつつあることが、即ちそれである。・・・>
これらの地方紙が全国紙に比べて、軍部批判に恐れを感じなかったのは、ひとつには中央ほど統制が強烈でなかったことや、地方の民衆の支持が大きかったこともあるが、発行部数が小さいので小回りがきき、発禁や休刊、廃刊の場合のダメージが小さくてすんだこともあげられよう。
全国紙の場合は、発行部数の桁数が違い、経営上の打撃を考えてより慎重にならざるをえないということは考えられる。しかし、全国紙でも、毎日新聞は朝日新聞とは比べ物にならないほど、軍部に抵抗した。
昭和19年2月23日の毎日の社説は「竹槍では間に合わぬ」という題で、「敵が飛行機で攻めて来るのに、竹槍をもっては戦い得ないのだ」とズバリ書いている。また同時に「勝利か滅亡か、戦局はここまで来た」という記事をのせ、「本土沿岸に敵が侵攻し来るにおいては万事休す」とまで書いている。
東条首相はこれをみて激怒して発禁処分を命じたが、すでに新聞は配達されていて、それこそ万事休すだった。この記事を書いた新名記者は「八つ裂きにされてもかまわぬ。社も潰されるかもしれない。それでもやるほかはない」という決意で書いたという。
思った通り、東条は怒り狂ったが、いかな東条でも、朝日と並ぶ大新聞をそう簡単に休刊や廃刊にはできなかった。もしそんなことをしたら、それこそ国民が驚き、不安が蔓延することになるからだ。
しかし、これ以後、毎日も抵抗を止めた。新名記者は進退伺いを出したが、吉岡編集長はこれをつき返し、「金一封」の「特賞」を与えたそうだ。これが精一杯だったのだろう。毎日新聞は戦後、他社に先駆けて社長以下幹部が責任をとって辞任している。朝日に比べてはるかに良心的だった。
新聞が次々と沈黙を余儀なくされる中で、最後まで気を吐いていたのが雑誌だった。これは新聞に比べて、雑誌の方が小回りが利いたからだろう。さらには、広告収入の割合が新聞に比べて小さいことも独立性を維持する上で有利だった。
新聞の場合は、その収入の相当の部分を広告主から得ている。だから国民に受けることを書いて販売実績を伸ばしても、スポンサーからの収入が減少すれば、全体の収入が増えるとは限らない。経済原理から言って、新聞社は基本的にはスポンサーの意向を無視するわけにはいかない。
ちなみに、現在の日本の日刊紙の発行部数は世界第一位だという。そして全収入(広告収入+販売収入)に占める広告収入の割合は、新聞の場合は約46%だといわれている。雑誌は約18%、テレビは民放の場合はほぼ100%が広告収入である。アメリカにおける新聞社の場合は、約85%が広告収入だそうだから、日本の新聞は、広告収入の割合がそれでも低い方だ。
戦後で見ると、高度成長期の1962年から73年までは広告収入が販売収入を上わまわっていた。これは、大量生産、大量消費時代を迎えて、大企業の広告需要がましたので、新聞はこれに応えて増ページを重ねたからだ。
戦前も大正時代にはすでに新聞社はその収入の大半を広告主に頼っていた。そして戦前戦後を通じて、大新聞のスポンサーはほとんど大企業である。ということは大企業の意志がどうしてもそこに投影される。
もし新聞が大企業に不利な記事を書き続ければ、大企業はとうぜんクレームをつけるだろう。それでも改善されなければ、広告の掲載を控えるに違いない。そうすれば新聞は経営が困難になる。だから、大企業からの広告収入に依存している中央紙は、スポンサーである大企業にあまりに不利なことは書けない。テレビの場合は、さらにこの傾向が強くなる。
たとえば、日本の総輸出額の52%は、大手有名企業上位30社で占められている。その売り上げは、じつに日本のGDPの12%に達している。ところがこの30社が支払う法人税は全体の5%に過ぎない。
平均的な日本企業は売り上げの3.6%を法人税として収めているが、この超エリート30社に関してはその平均は1.4%に過ぎない。どうしてこのようなことが許されるのか。それは、この30社が政治家に莫大な政治献金をして、自分の都合の良い政策を実行させているからではないか。
そして、この30社がテレビや新聞のスポンサーだから、まず、テレビや新聞でこうした事実が報道されたり、問題にされたりすることはない。テレビや新聞などのマスメディアに登場する有名なエコノミストや政治評論家もまた、この30社から顧問料などを受け取っていることが多い。メディアリテラシーの第一として、私たちが読んだり目にしたりしているマスメディアには常にそうした広告主からのバイアスがかかっていることを認識しておく必要がある。
たとえば、小泉首相は昨年度だけで30兆円を越えるアメリカ国債を購入した。これは円高を阻止するためだといわれている。テレビや新聞は円高になると輸出産業が打撃を受けると主張し、景気を後退させないためにはやむをえないという。しかし、こうしたことは一度疑ってみた方がよい。財界は現在武器輸出3原則の見直しを求めているが、各新聞がこれにたいしてどのような対応をするか、これも一種のリトマス試験紙として注目しよう。
脱線してしまったが、戦時中の大新聞の戦争翼賛的な動向についても、国民の意識の変化とあわせ、スポンサーである大企業の意向も考えなければならないだろう。この点についいて、スポンサー収入に依存する比率の小さかった雑誌には、まだ言論の自由があったわけだ。そこでこうした有利な条件の下で、雑誌がどう戦争に向かい合ったか、当時の政治的状況もふくめて、明日の日記に書いてみよう。
(参考文献) 「朝日新聞の戦争責任」 安田将三、石橋孝太郎共著、大田出版
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