橋本裕の日記
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| 2004年08月25日(水) |
日本はオリンピック一色 |
オリンピックで日本のメダルラッシュが続いている。柔道、水泳、体操、レスリング、マラソンなど、毎日のようにメダルが日本人選手の首にかけられ、オリーブの月桂冠が頭を飾っている。私もいつになくテレビの前に坐る時間が増えた。
アスリートたちの鍛え抜かれた肉体と、その緊張した精神の美しさは見ていて気持ちの良いものである。そして、そこに応援する人々の必死の願いがあり、涙と歓喜の物語がある。スポーツ番組など縁がなかった私が引き込まれて見ていた。
テレビばかりでなく、新聞もオリンピック一色である。毎日、日本人選手の大きな顔写真が出ている。柔道のやわらちゃんと水泳の北島選手は知っていたが、他は名前も顔もしらない人がほとんどだった。それがいつの間にか野口みずき選手の名前や顔を覚えている。
毎朝、いい笑顔に出会う。「よかったね」と祝福してあげたくなる。毎日をこんな明るい記事で始められるのはありがたいことである。しかし、ふと、新聞の片隅においやられた記事に目がいく。そうか、世の中はオリンピックばかりではなかったのかと、あたりまえのことに気がつく。折しもインターネットで浅井久仁臣さんのこんな文章を読んだ。
<このところのマスコミ、特に新聞各紙の紙面作りが悲惨です。昨日の朝刊に至っては、高校野球の決勝戦の翌日という事もあって、讀賣新聞は40面の内8面を、朝日も36面の内9面を全面スポーツ記事で埋め、他にも一面の約8割を、社会面2ページの7割を、そして他にも社説など各面で派手な見出しを付けてスポーツを報道をしています。
他に、讀賣が13ページを、朝日が10ページを全面広告、またその他に全てのページに亘って広告がかなりスペースを取っています。つまり、自前の記事は全紙面の3割程度という体たらくです。こんなものを発行しておいて、「日本を代表する」新聞などとぬけぬけと言う新聞社の人たちの神経が私には理解不能です。ちなみに、米英の高級紙と言うか、「オピニオン・リーダー」的役割を担う新聞は、通常とそれほど大きく違うことはありません>
何日か前の朝日の「天声人語」に、ペルシャ王クルクセスが古代ギリシャへに遠征したときの話が紹介されていた。クルクセスが前に引き出されてきたアルカディア人の男にギリシャの動向を尋ねると、「いまオリンピュア祭を祝っているところで、体育や馬の競技を観覧しています」と答えた。
王が「商品は何か」と訊くと、男は「オリーブの冠が与えられる」と答えた。それを聞いたペルシャの武人が、「ああ、何という人間と戦わせてくれたことか。金品ならぬ栄誉を賭けて競技を行う人間とは」と嘆いたという。(ヘロドトス「歴史」)
現代の選手には名誉の他に金銭的な見返りもないわけではない。そもそもオリンピックでメダルを取るためには、個人の力だけではむりである。国家や企業のサポートがなければならない。今回のメダルラッシュの背後には、日本の大企業の業績回復も影響しているのかも知れない。
しかし、今はひとときそうした俗世の思惑を離れて、アスリートたちの活躍に賞賛を送りたい。いましばらく、彼らとともに夢を追っていたい。と、ここまで書いてきて、ふいにあることに気付いた。図書館で見た戦時中の新聞もこんなふうに賑やかで勇ましかったなと。
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