橋本裕の日記
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2004年08月23日(月) アテネ帝国の滅亡

 私はギリシャを高く評価している。真理と善と美に輝いたギリシャ、民主主義を実践した国、そしてその成果は現代社会に受け継がれた。アクロポリスの丘に残るパルテノン神殿は真理と美の栄光の象徴である。

 ペルシャを破り、黄金期を築いたギリシャだが、その後、アテネとスパルタが争いを始め、30年間続いたペロポネソス戦争(前431〜前404)によってその栄光が完全に失われることになった。その過程を、同時代の歴史学者ツキジデスが描いている。たとえばアテネ同盟軍によるメロス島の攻略を見てみよう。

 前416年、アテナイ同盟軍は、ペロポネソス半島東海岸に近いメロス島に兵を進めた。そしてそこに住むスパルタ系の住民を降伏させるための使者を送る。そのときの使者の言葉を、ツキジデスの『歴史』第5巻から拾ってみる。

「よろしい、我々自身も美辞麗句を弄して、ペルシアを打ち倒せるが故に当然の支配権がアテナイにあるとか、諸君から何らかの被害を受けているが故に今、攻撃の手を伸ばさんとしているとかなどと長広舌をふるう意図はない。諸君もまたスパルタ系移民ではあるが、反アテナイの軍に参加しなかったとか、我々に何らかの危害を加えた覚えがないとか論じ立て、それによって我々を説得しようなどとの心算にはならないでもらいたい」

「現実的人間の言葉を使えば、正義の問題は対等の力関係が存する時のみ論ぜられ決めさせられるか、力が不均衡の場合には優者は現実に可能な方策を実行に移し、劣者はその点において譲歩あるのみ。これこそ我等双方ともに、とくと承知の道理である」

「諸君は最悪の経験をなめることなく、従属の地位を得、我々は諸君を破滅せしめることなくして搾取し得るであろうからである」

「諸君が我等に対して向ける憎悪こそ、我等の支配が強力になることの証しである」

「神も人間も、強きが弱きを支配することの必然なるを、我等は明白なる事実と信ずる」

 交渉は決裂し、メロス人は戦ったが、圧倒的なアテネ同盟軍に町は包囲された。降伏したメロスに対して、アテネ軍は成人男子全員を処刑し、婦女子を奴隷とした。そしてアテネはこの島に500人の入植者を送り込み、植民地としたのだった。

 これが民主政治の雄とされたアテネが行ったことである。ペリクレス(前495〜前429)が戦争で死んだ戦士を追悼するこんな演説をしたのは、わずか14年前の前430年だった。

「われらの政体は他国の制度を追従するものではない。ひとの理想を追うのではなく、ひとをしてわが範を習わしめるものである。その名は、少数者の独占を排し多数者の公平を守ることを旨として、民主政治と呼ばれる」

 ペリクレスはこの演説をした翌年に死んでいるが、その後のアテネの精神の荒廃は目をおおうばかりである。ツキジデスによると、ギリシャはこの戦争によって滅びたのだった。彼は「戦争は暴力の教師である」「人々は善人たることを恥とし、悪人たることを誇りとした」と書いている。

 攻略した都市の成人男子市民を全員殺害し、婦女子を奴隷にする例は、スパルタの場合もおなじだった。しかし、こうしたことが、ペリクレスなきあとだとはいえ、ソクラテスやプラトンが存命中の民主国家アテネの人々が行なっていたというのはギリシャびいきの私としては残念である。

 小田実さんは、こうしたアテネをさして「アテネ帝国主義」と呼んでいる。たしかに、ツキジデスの描くアテネはこの言葉にふさわしい冷酷な軍事的侵略主義の国家であった。このアテネの轍を、私たちは踏んではいけない。折しも第6回オリンピックがアテネで開催されているが、ギリシャ人として自らの国の歴史を冷静に書き残したツキジデスの平和への祈りも、私たちは大切に受け継ぎたいものだ。

(参考サイト)
http://www.kumagai.ne.jp/column/


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