橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
昨日の日記で、世界には2種類の文明があることを述べた。つまり、「森を大切にする文明」と「森を粗末にする文明」である。前者は稲作農業を中心に発達し、後者は小麦農業と牧畜によってもたらされた。
今日は後者の文明について、もう少し考えてみたい。四大文明のうち、エジプト文明やチグリス・ユーフラテス文明はあきらかにこのタイプである。ギリシャ文明やローマ文明もそうだし、これを受け継いだヨーロッパやアメリカの文明もこのタイプだ。
この文明の特徴は、自然に対する態度が父性的・攻撃的だということである。森を切り開くには、それなりの覚悟が必要になる。古代の神話を読むと、そこに森に象徴される神々の殺戮のテーマが繰り返されている。西洋型文明の基本にはこうした「神殺し」のモティーフが隠されている。
西洋の聖人はソクラテスであれイエスであれ、あまりろくな死に方をしていない。東洋の聖人である釈迦や孔子が安らかに息を引き取っているのとは対照的である。「神殺し」は「一神教」形成のために必要な過程でもある。神々の殺戮がなければ、唯一神エホバへの絶対服従もありえないからだ。
一神教を基盤にした自然への攻撃的な姿勢は、この文明を自然支配へと向かわせた。自然は人間が利用するものであり、そのために自然に対する知識をあつめ、これを研究しなければならない。ここから論理的な思考が芽生え、科学や技術が発展した。
自然に対する知識と探求は、社会や人間に対する知識と探求を生んだ。ギリシャでは芸術や哲学が発展し、ポリス市民による民主主義も生まれた。こうした流れが、近代ヨーロッパに受け継がれた。
小麦と牧畜から生まれた文明は、やがて産業革命を生み、資本主義を発展させた。こうして18世紀にいたって西洋文明は他を圧倒するようになった。あらゆる産業が覇を競いながら栄え、やがてその中枢で金融資本が巨大化して行った。この文明はアメリカに渡り、現在もその威力を遺憾なく発揮している。
しかし、この文明の基本にあるのは、自然に対する人間の優位である。この文明は基本的に自然や人間を収奪することで成り立っている。多量の化石燃料を消費し、地球の自然を破壊し、生態系を破壊しつつある。そして、この文明が発達すると同時に、奴隷労働や人間の大量殺戮が生まれた。
こうした収奪型の文明に対する反省は、文明そのものの内部から生まれてきた。エコロジーの考え方が生まれ、現在のヨーロッパでは自然尊重の考え方が次第に勢力をもちつつある。また、東洋の思想や文化への関心も深まっている。
日本は東洋文明の優等生だったが、今は西洋型文明の優等生でもある。そして今、西洋文明に支配され、すっかり勢力を失っていた東洋文明の伝統が、少しずつ息を吹き返しつつある。現在の日本はこの両者の文明を止揚し、よりすばらしい未来の文明を創造していくことができる位置に身を置いている。
このために大切なのは、東洋文明の宝である「共生原理」を西洋文明の伝統の中で生かしていくことだ。多くの日本人が東西の文明の融合という文明史的な観点と志をもてば、テロと紛争と飢餓が横行するこの多難な世紀を、いくらかでも明るく棲みやすくすることができるだろう。
|