橋本裕の日記
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2004年08月19日(木) 森を大切にする文明

 ハンチントンは「文明の衝突」のなかで、宗教を基本において、世界を8つの文明にわけている。そして彼は、宗教対立が文明の対立を生み、戦争や紛争を生じさせるという構図で世界を見ている。

 私はもう少し単純化して、「A森や樹木を大切にする文明」と「B森や樹木を疎かにする文明」という風に分けてみてはどうかと思っている。つまり、森(樹木)という自然を軸にして、文明や文化の問題を考えるわけだ。

 この分類でいうと、多神教の仏教や神道はA型で、一神教のユダヤ教やキリスト教、イスラム教はB型だということがわかる。そして多神教が支配的なアジア諸国にはゆたかな森林が残され、これに対して一神教の支配的な欧米や中近東の国々には森林はほとんど残されていない。

 以前は、文明と言えば西洋型のものしか考えなかったが、トインビーがこれに異議を唱え、ハンチントンも西洋型の文明だけが文明ではないことを認めている。そうすると「文明が森を消滅させる」というテーゼは一般的真実とはいえないことになる。森を消滅させない、自然と共生する文明も存在するからだ。

 それではこの二つの文明の違いはどこから現れたのか。歴史を遡ってみると、それは「稲作農業」と「小麦農業」の違いだということがわかる。稲作はアジアを中心にして行われた。これに対し、小麦は中近東からヨーロッパにかけて栽培されている。

 小麦を作るために、人々は森林を切り開いた。そして畑を耕しそこに小麦を植えた。さらには残りの草原でヒツジやヤギなどを飼った。こうして小麦と牧畜を基本にして、人々は生計を営んだわけだが、その過程でどんどん森林が消滅したわけだ。

 これに対して、稲を作る人々は森を大切にした。なぜかと言えば、稲作に必要なのは水であり、その大切な水を森が供給してくれるからだ。稲作文明の場合は最初から森との共生が前提だった。

 したがって、森を切り開き、これを牧草地にするという発想もなかった。ヒツジやヤギを飼うかわりに、人々は海や川に行って、魚を捕った。そして海の幸もまた、森から流れ出る水によって養われていることを知っていた。こうして米作と漁猟によって生きている人々は、森を守り、自然を尊ぶことを大切にしてきた。

 最近、日本でも小麦の消費量が増え、米を食べる人が少なくなってきた。また、肉食も増えてきた。米作りが行われなくなり、田んぼがなくなると、やがて森が破壊される事態が起こってくるかもしれない。これは私たちの文明の将来を危うくするものだといえよう。

 森を破壊する文明は、同時に土地をも収奪する。そして土地がやせ衰えると、やがては人間を収奪しないではおられなくなる。このことを、この数千年の人類の歴史が証明している。そしていまなお、私たちの前で行われていることの本質なのだ。

 世界の安寧と、人類の幸福のためにも、森を大切にする文明を、私たちはこれからも大切にしていきたい。そのためにパンと肉ではなく、ご飯と魚をたべよう。これによって日本だけではなく、世界の森を守りたいものだ。そうすればこの世界は少しずつ平和になるのではないだろうか。

 なお、米作はアメリカでも行われている。しかし、アメリカ式農業は森の水ではなく、地下水を汲み上げて行われている。米作は多量の水を要するため、地下水の水位が下がり、やがてそこは稲作に不適な土地として放擲される。森を伴わない稲作は、土地の荒廃をもたらすだけである。このことも肝に銘じておきたい。


橋本裕 |MAILHomePage

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