橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
私は県立高校で教師をしているが、行事で一度も不起立をしたことはないし、生徒に「歌うな」と指導したことはない。それどころか、以前の勤務校では、国旗掲揚係として毎日生徒と一緒に国旗を揚げていた。
朝礼では「君が代」の演奏を流す係もしていた。そしてそのことにとくに疑問を持っていたわけではない。疑問を持つようになったのは、歴史を勉強してからだ。とくに、沖縄戦のことを調べるうちに、しだいに重苦しい気持になった。先の戦争がなぜ起きたのか。日本軍が何をしたのか。私はほとんど何も知らなかった自分を恥じた。
最近ある人から、<君主に「帝王学」が必要なように、主権者である国民には「主権者学」が必要だ>という憲法学者の杉原泰雄さんの言葉を教えて貰った。なるほどと納得した。私が学校で学んだり、生徒達に教えているのは「主権者学」とは反対の、「被主権者学」だったのだ。
イギリスの小学校で繰り返し教師が子どもに教える言葉がある。それは、「君たちは主権者になるために学校で勉強するのだよ」という言葉だという。こうした主権者学を徹底的に教え込まれるわけだが、民主主義教育というのは本来こうでなければならない。これが日本の教育にはすっぽり抜け落ちている。
今、与党の手で、「教育基本法」が変えられようとしている。「教育は不当な圧力に屈することなく・・・」という文章を、「教育行政は不当な圧力に屈することなく・・」と書き換えるのだそうだ。「教育」を「教育行政」に書き換えるだけで、その精神は180度違ってくる。
憲法を変えて、自衛隊を軍隊にして外国に派遣できるようにする。さらに、教育基本法を変えて、教師や生徒から自主的な思考力や行動力を奪う。武器輸出3原則を緩和し、武器を大々的に製造し、外国に販売できるようにする。
こうしたことが、今、この日本で行われているが、これに疑問を持つ人が次第に少なくなりつつある。そればかりか、これを積極的に容認する意見が世論調査やマスメディアで大勢を占めつつある。先の第2次世界大戦で、ナチスに抵抗したドイツ人牧師のマルチン・ニーメラさんがこんな言葉を残している。
「共産党が弾圧された。私は共産党員ではないので黙っていた。社会党が弾圧された。私は社会党員ではないので黙っていた。組合や学校が閉鎖された。私は不安だったが(関係ないので)黙っていた。教会が弾圧された。私は牧師なので、立ち上がった。そのときはもう遅かった」
私たちは他人が迫害され、その基本的人権が脅かされていても、ともすればほとんど無関心だ。傍観しているだけではなく、中にはいい気味だと感じている人も、拍手喝采している人もいる。民衆のこうした動きが権力の横暴を呼び込む。気が付いたとき、自らがその餌食になっている。これがこれまで繰り返されてきた歴史の道行きである。
私たちは「主権者学」を学んで、もっと賢くならなければならない。残念ながら学校で教えらているのは、「被主権者学」なのである。家庭では子供たちと一緒に「主権者学」を学ぶことにしよう。そして我々が主権者であることを否定するあらゆる傾向にもっと敏感になって、これに反対してゆこう。
|