橋本裕の日記
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8月13日に放送されたNHKスペシャルの「一兵卒の戦争」はみごたえがあった。芥川賞作家の故古山高麗雄さんは一兵卒(一等兵)として中国雲南省で過酷な戦争を体験していた。それは圧倒的な敵兵力の前での「無意味な死」が続く日々だったという。
戦後帰還した彼は会社に就職し、ふたたび「一兵卒」として熾烈な経済戦争の中に身を置くが、やがて会社が倒産するなど、あまり恵まれなかった。そんな彼が戦争体験を書き始めたのは49歳のとき、友人に勧められてだという。
戦争体験を書くにあたって、資料を調べてみると、兵卒として戦っていたときには知らなかった戦争の全体像が見えてきた。中国からビルマ(現ミャンマー)にかけてアメリカ軍は「援蒋ルート作戦」を展開する。連合軍の支援を受けた中国軍は人員も火力の点でも圧倒的だった。
拉孟、騰越では日本軍が玉砕している。もうひとつの激戦地・龍陵での戦いに古山さんは「一兵卒」として従軍したが、ここでも玉砕に近かった。援蒋ルート争奪戦で3万人以上の日本人兵士が命を落としている。こうした資料からうかがえること、それは自分たちの戦争が決して勝てるはずのない戦争だったという事実だった。
古山さんは、「兵は戦場を墓場だと思って死守せよ」という部隊長の訓示がでていたことを知った。そして龍陵会戦での何千人という死者が、ほとんど下級の兵隊である一兵卒で占められていた現実もわかった。撤退を許されず、冷たい雨と弾丸の中で餓えながら、最後は「幽鬼」となって無理死を強いられた数多くの兵隊達の無念を思った。古山さんは自分のことを「未帰還兵」とよび、その体験を生涯を通じて書き残そうと決心した。
同じ部隊に所属した生き残りの兵士たちの証言を求めて、古山さんは何年も全国を旅した。そして多くの旧兵士たちがやはり自分と同じく心に傷を残したまま戦後を生きてきた「未帰還兵」であることを知る。多くの戦友達が戦争体験を文書で残し、それを次の世代に伝えようとしていた。
「戦争で死んだ奴らがかわいそうだ」と涙で言葉を詰まらせる86歳の老人も、やはり雲南省龍陵の戦場で死線をさまよった体験があった。別の老人は、「歩兵は消耗品だった」と当時を振り返り怒りをにじませた。捕虜を銃剣で突くことを命令されて、実行した経験を持つ老人は苦渋で顔を歪めた。
古山さんは戦場での体験を振り返る。そこでは誰もが人間としての尊厳を奪われ、そして投げやりになってすべてを運に任せるようになり、ついには自分を信じることが出来なくなる。そうした非人間的な極限状態を古山さん自身も体験している。
兵隊は上官の命令に従わずにはいられない、兵隊は敵に包囲され、自分が殺されることが分かっていても撤退することが許されてはいない。個人から撤退の判断が奪われているならば、その判断は組織が行わなければならない。しかし日本の軍隊はそうはなっていなかった。そしておびただしい兵士たちが消耗品として戦野に放置された。彼らはに「敵」によって殺されたと言えるのだろうか。彼らを死にいたらせたものの本当の正体は何か。こうした問がいやでも浮かんでくる。
過酷な戦場に「一兵卒」として身を置くことで赤裸々に見えてくる戦争の実体がある。しかし、同時にこうした体験を、全体像のなかに位置づけたとき、はじめて見えてくる戦争の真実があることもたしかだ。古山さんは、彼が一兵卒として体験した戦争を、ひとつの経験として後の世代に伝えようとした。そうした未帰還兵たちの思いを、NHKは数々の証言と映像を交えながら描いていた。 14日のNHKスペシャルでは「遺された声〜録音盤が語る太平洋戦争〜」が放送される。満州の国策会社・満州電電が戦時中に放送したラジオ番組の録音盤2200枚が中国吉林省で発見された。戦況報道にまじって特攻隊員の遺言や開拓農民の声などが数多く録音されていた。声を残した人々の足取りをたどり、庶民の視点から戦争をみつめる。
15日のNHKスペシャルは「子どもたちの戦争〜戦時下を生きた市民の記録〜」である。戦時中の市民の日記や映像、日用品など戦争資料をとおして、戦時下に生きた市民の暮らしや心を伝えるという。これも見逃すわけにはいかない。
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