橋本裕の日記
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南方熊楠は18年間におよぶ外遊を終えて、日露戦争が終わった明治38年(1905年)、38歳のとき日本に帰ってきた。自然に乏しい西洋に比べ、日本こそ生物学研究の宝庫だった。とくに熊楠の故郷の和歌山県には手つかずの自然が残っている。田辺市に居を構えた熊楠は市井にあって、地域の人々との交情を深めながら、研究に打ち込んだ。
しかし、日露戦争が終わったあとの日本は国情が騒然としていた。戦勝気分で浮かれていた国民の興奮は容易におさまらなかった。全国で講和反対・戦争継続の世論が盛り上がり、政情不安が続いた。農村部でも農民の疲弊は深刻だった。そうしたなかで、内務省は明治39年末に「神社合祀令」を布告した。 これはそれまで各集落ごとにあった神社を合祀して、「一町村一神社」に統合しようとする政策だった。記紀神話や延喜式神名帳に名のあるもの以外の神々を抹殺することで、神道を天皇制のもとに一元化しようとしたものだった。日本の多神教的な信仰風土を一掃し、天皇を中心とした国家神道へと純化しようというねらいがあった。
熊野には無数の神社があったが、その多くは民間の信仰に基礎をおいたもので、古来の自然崇拝に仏教や修験道などが混交したものだった。こうした種種雑多の神社をすっかりなくして、由緒正しい神々だけを残そうしたわけだ。
数年間のうちに、全国で何万という神社が姿を消し、神社の鎮守の森が切り倒された。こうした中央政府の政策は、戦争で疲弊していた地元の経済を潤すことにもなった。切り倒された材木が商売の種になったからだ。とくに熊野の豊かな原生林は役人や民間に数々の利権をもたらし、戦争で疲弊した地方の経済に刺激を与えた。
それは数千年におよぶ遺産を食いつぶすわけで、貴い自然の犠牲の上に可能なことだったが、この政策に反対する声はほとんど聞かれなかった。富国強兵のためにはそれは仕方のない犠牲だと思われた。強い国をつくるためには、神社を統一して、国民の信仰を一つにすることも必要だと考えられた。この点で「神社合祀令」は国民の支持を得ていた。
中央の政策に従い、神社を合祀することで地方官吏は出世ができたので、むやみにその数を競いだした。神社がなくなれば神木が売り払える。そうした餌で村民を誘導し、さらにそこに悪徳業者が介入し、地方はたちまち醜い欲得がうごめく利権あさりの場になった。
南方熊楠が「神社合祀令」がとんでもない悪法だと気付いた発端は、田辺市・高山寺の一角にある申神神社の森の伐採だった。熊楠が以前にここで発見した粘菌の標本を作ろうとして訪れたとき、すでにそこに棲息する貴重な生物とおもに森があとかたもなくなくなっていた。熊楠は怒りを爆発させ、さっそく地元の新聞に次々と投書しはじめた。
「歴史も由緒も景勝も問わず、いわんや植物のことなど問うはずもなく、おのおの得たり賢しと神狩りを始む」 「神社合祀は希世の愚挙なり」 「欧米では大金を出して公園を作っている。神社という自然の公園を売却するごとき馬鹿者は世界になし」
那智の滝の水源にもなる原生林が伐採されることを知った熊楠は、「濫伐にて滝の水も減じ、景勝も大いに損ずること現前にあり」と書いた。そして、森林伐採の利権にからんでいた神官、業者の賄賂スキャンダルを新聞で暴き立てた。これが地元の人々を動かした。訴訟がなされ、裁判に勝利することで、かろうじて那智の原生林が守られた。
そうするとさっそく反撃がなされた。南方家の所有になる大山神社が突然廃止された。熊楠は「県知事以下が官憲の強さを示さんとて、特に小生に侮辱を加えるものにこれあり」と、ふたたび反撃した。さらに、神社廃止を進める集会へ標本の植物を持って乱入した。
このとき熊楠は家宅侵入罪で逮捕された。支援者たちが役所に押し掛け、釈放を嘆願するなかで、彼は18日間にわたり拘置所に拘留された。出獄した熊楠は闘いやめなかった。新聞への投書を続け、地方を回り森林保護の啓蒙活動を続けた。
熊楠は「神社合祀令」がいかに地域共同体を破壊し、人々の心の荒廃に寄与しているかを暴き立てずにはいられなかった。彼は友人の白井光太郎に宛てた明治45年2月9日付の手紙にこう書いている。
<…そもそも全国で合祀励行、官公吏が神社を勦蕩(そうとう)滅却せる功名高誉とりどりなる中に、伊勢、熊野とて、長寛年中(1163-1165)に両神の優劣を勅問ありしほど神威高く、したがって神社の数はなはだ多かり、士民の尊崇もっとも厚かりし三重と和歌山の二県で、由緒古き名社の濫併(らんべい)、もっとも酷く行なわれたるぞ珍事なる。
すなわち三重県の合併はもっともはなはだしく、昨年六月までに五千五百四十七社を減じて九百四十二社、すなわち在来社数のわずかに七分一ばかり残る。次は和歌山県で、昨年十一月までに三千七百社を六百社、すなわち従前数の六分一ばかりに減じ、今もますます減じおれり。かかる無法の合祀励行によって、はたして当局が言明するごとき好結果を日本国体に及ぼし得たるかと問うに、熊楠らは実際全くこれに反せる悪結果のみを睹(み)るなり。
…かくのごとく合祀励行のために人民中すでに姦徒輩出し、手付金を取りかわし、神林を伐りあるき、さしも木の国と呼ばれし紀伊の国に樹林著しく少なくなりゆき、濫伐のあまり大水風害年々聞いて常時となすに至り、人民多くは淳樸の風を失い、少数人の懐が肥ゆるほど村落は日に凋落し行くこそ無惨なれ>
熊楠が命がけで守ろうとしたもの、それは日本の豊かな国土と、そこに自然と調和しながら暮らしている人々素朴な信仰心だった。彼は日本の自然が世界に例がない宝であることを18年間におよぶ外国放浪と、その間の生物学研究によって知っていた。日本が世界に誇る最大の宝を、地方政府の役人と商人たちが結託して壊していく現状に、文字通り身もだえた。
しかし地団駄踏んでいただけではない。彼には第一級の知性と見識があった。またこれを表現する文章力も抜群だった。彼は彼の持てる力を総動員して、猛烈な勢いで新聞や雑誌への投稿を続け、中央へも必死に働きかけた。その頃の彼が渾身の力を振り絞って書いた「神社合祀に関する意見」から、部分的に引用しておこう。「青空文庫」から写させていただいたものである。
<むかし孔子は、兵も食も止むを得ずんば捨つべし。信は捨つべからず、民(たみ)信なくんば立たず、と言い、恵心僧都は、大和の神巫(みこ)に、慈悲と正直と、止むを得ずんばいずれを棄つべきと問いしに、万止むを得ずんば慈悲を捨てよ、おのれ一人慈悲ならずとも、他に慈悲を行なう力ある人よくこれをなさん、正直を捨つる時は何ごとも成らず、と託宣ありしという。
俗にも正直の頭(こうべ)に神宿ると言い伝う。しかるに今、国民元気道義の根源たる神社を合廃するに、かかる軽率無謀の輩をして、合祀を好まざる諸民を、あるいは脅迫し、あるいは詐誘して請願書に調印せしめ、政府へはこれ人民が悦んで合祀を請願する款状(かんじょう)なりと欺き届け、人民へは汝らこの調印したればこそ刑罰を免るるなれと偽言する。かく上下を一挙に欺騙(ぎへん)する官公吏を、あるいは褒賞し、あるいは旌表(せいひょう)するこそ心得ね。さて一町村に一社と指定さるる神社とては、なるべく郡役所、町村役場に接近せる社、もしくは伐るべき樹木少なき神社を選定せるものにて、由緒も地勢も民情も信仰も一切問わず、玉石混淆、人心恐々たり>
<わが神社何ぞ欧米の寺院、礼拝堂に劣らんや。ただそれ彼方(かなた)には建築用材多く、したがって偉大耐久の寺院多し。わが国は木造の建築を主とすれば、彼方ごとき偉大耐久のもの少なし。故に両大神宮を始め神社いずれも時をもって改造改修の制あり。欧米人の得手勝手で、いかなる文明開化も建築宏壮にして国亡びて後までも伝わるべきものなきは真の開化国にあらずなどいうは、大いに笑うべし。
バビロン、エジプト等久しく建築物残りて国亡びなんに、どれほどの開化ありたりとてその亡民に取りて何の功あらん。中米南米には非凡の大建築残りて、誰がこれを作りしか、探索の緒(いとぐち)すらなきもの多し。外人がかかる不条理をいえばとて、縁もなき本邦人がただただ大妓になるべき意気な容姿なきは悦ぶに足らずと憂うると異ならず。娘が芸妓にならねば食えぬようになりなんに、何の美女を誇り悦ぶべき。欧米論者の大建築を悦ぶは、これ「芸が身を助くるほどの不仕合せ」を悦ぶ者たり>
<ただし、わが国の神社、建築宏大ならず、また久しきに耐えざる代りに、社ごとに多くの神林を存し、その中に希代の大老樹また奇観の異植物多し。これ今の欧米に希(まれ)に見るところで、わが神社の短処を補うて余りあり。外人が、常にギリシア・ローマの古書にのみ載せられて今の欧米に見る能わざる風景雅致を、日本で始めて目撃し得、と歎賞措(お)かざるところたり。
欧州にも古えは神林を尊び存せしに、キリスト教起こりて在来の諸教徒が林中に旧教儀を行なうを忌み、自教を張らんがために一切神林を伐り尽せしなり。何たる前見の明ありて、伐木せしにあらず、我利のために施せし暴挙たり。それすら旧套を襲いて在来の異神の神林をそのまま耶蘇教寺の寺林とし、もってその風景と威容を副えおる所多し。市中の寺院に神林なく一見荒寥たるは、地価きわめて高く、今となって何とも致し方なきによる。これをよきことと思いおるにはあらじ>
<千百年を経てようやく長ぜし神林巨樹は、一度伐らば億万金を費やすもたちまち再生せず。熊沢伯継の『集義書』に、神林伐られ水涸(か)れて神威竭(つ)く、人心乱離して騒動絶えず、数百年して乱世中人が木を伐るひまなきゆえ、また林木成長して神威も暢るころ世は太平となる、といえり>
<定家卿なりしか俊成卿なりしか忘れたり、和歌はわが国の曼陀羅(まんだら)なりと言いしとか。小生思うに、わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅ならん。前にもいえるごとく、至道は言語筆舌の必ず説き勧め喩(さと)し解せしめ得べきにあらず。その人善心なくんば、いかに多く物事を知り理窟を明らめたりとて何の益あらん。
されば上智の人は特別として、凡人には、景色でも眺めて彼処(かしこ)が気に入れり、此処(ここ)が面白いという処より案じ入りて、人に言い得ず、みずからも解し果たさざるあいだに、何となく至道をぼんやりと感じ得(真如)、しばらくなりとも半日一日なりとも邪念を払い得、すでに善を思わず、いずくんぞ悪を思わんやの域にあらしめんこと、学校教育などの及ぶべからざる大教育ならん。
かかる境涯に毎々到り得なば、その人三十一字を綴り得ずとも、その趣きは歌人なり。日夜悪念去らず、妄執に繋縛(けいばく)さるる者の企て及ぶべからざる、いわゆる不言(いわず)して名教中の楽土に安心し得る者なり。無用のことのようで、風景ほど実に人世に有用なるものは少なしと知るべし>
<かくのごとく微細生物も、手水鉢や神池の石質土質に従っていろいろと珍品奇種多きも、合祀のために一たび失われてまた見る能わざる例多し。紀州のみかかる生物絶滅が行なわるるかと言うに然らず。伊勢で始めて見出だせしホンゴウソウという奇草は、合祀で亡びんとするを村長の好意でようやく保留す。イセデンダという珍品の羊歯(しだ)は、発見地が合祀で畑にされ全滅しおわる。スジヒトツバという羊歯は、本州には伊勢の外宮にのみ残り、熊野で予が発見せしは合祀で全滅せり。
日本の誇りとすべき特異貴重の諸生物を滅し、また本島、九州、四国、琉球等の地理地質の沿革を研究するに大必要なる天然産植物の分布を攪乱雑糅(ざつじゅう)、また秩序あらざらしむるものは、主として神社の合祀なり>
<かくのごとく神社合祀は、第一に敬神思想を薄うし、第二、民の和融を妨げ、第三、地方の凋落を来たし、第四、人情風俗を害し、第五、愛郷心と愛国心を減じ、第六、治安、民利を損じ、第七、史蹟、古伝を亡ぼし、第八、学術上貴重の天然紀念物を滅却す>
<当局はかくまで百方に大害ある合祀を奨励して、一方には愛国心、敬神思想を鼓吹し、鋭意国家の日進を謀ると称す。何ぞ下痢を停めんとて氷を喫(くら)うに異ならん。かく神社を乱合し、神職を増置増給して神道を張り国民を感化せんとの言なれど、神職多くはその人にあらず。おおむね我利我慾の徒たるは、上にしばしばいえるがごとし。国民の教化に何の効あるべき。かつそれ心底から民心を感化せしむるは、決して言筆ばかりのよくするところにあらず>
<わが国の神社、神林、池泉は、人民の心を清澄にし、国恩のありがたきと、日本人は終始日本人として楽しんで世界に立つべき由来あるを、いかなる無学無筆の輩にまでも円悟徹底せしむる結構至極の秘密儀軌たるにあらずや。加之(しかのみならず)、人民を融和せしめ、社交を助け、勝景を保存し、史蹟を重んぜしめ、天然紀念物を保護する等、無類無数の大功あり>
(次回に続く)
(参考サイト) http://www.nanki-town.jp/history/kumagusu.htm http://homepage1.nifty.com/boddo/kmgs/gousi.html http://www.genbu.net/tisiki/jinjya.htm
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