橋本裕の日記
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| 2004年08月05日(木) |
民主主義の根底にあるもの |
昨日の日記で、「基本的人権は天与の権利である」と書いた。これは西洋の啓蒙主義が人類にもたらした最大の福音である。しかし、西洋の啓蒙主義にも限界がある。それは、この思想がともすれば人間中心主義に傾きすぎることだ。
人間に天与の権利があるとしたら、犬や猫にはないのだろうか。松や檜はどうだろう。カメやカエルやナマズや蜻蛉についてはどうだろう。彼らの生存もまた天与の権利ではないのだろうか。
西洋文明の伝統の中にはこうした発想が薄かった。ギリシャもローマも人間のために自然を利用し、そして挙げ句の果てに破壊した。そのあとをついたヨーロッパ文明も、同じ轍を踏んで、広大な森林を、そこにすむ生物ごと撲滅した。
森が破壊されたとき何が起こったか。害虫や鼠が異常に繁殖し、これらが村や町を襲い、ベストや疫病が大流行した。これによって13、4世紀にはヨーロッパの人口が半減してしまった。こうした反省の上に、西洋でも次第に自然の価値が尊ばれるようになり、エコロジーの思想が生まれてきたわけだ。
私たち日本人は仏教の「不殺生戒」が、動物や植物の別なく、あらゆる生命に及ぶものであることを知っていた。時には石ころや岩にまで「神」としてあがめた。それは私たちの先祖が自然の恵みについてよく理解していたからである。エコロジーなど学校で学ばなくても、生まれながらのエコロジストであった。つまり、自然との共生こそが私たちの文化の本質だったわけだ。
この生まれながらのエコロジーは神道と呼ばれていた。神社は必ず鎮守の森をもち、そこに多様な植物や動物たちをすまわせた。村人たちは身近にその森を見ることで、やすらぎと豊かさを感じ、同時に畏敬を抱き、愛郷心をも抱いていたわけだ。
明治になり、近代化が進む中で、これらの森が次々と伐採されることになる。とくに日露戦争後の明治39年に帝国議会で制定された「神社合祀令」がこれを後押しすることになった。明治39年に19万を数えた全国の神社は、わずか三年の間に14万7千まで減少し、鎮守の森として守られてきた貴重な自然の多くが消滅した。
もし、この「神社合祀令」がそのまま続いていたら、おそらく現在の日本の姿は大きくかわっていただろう。近代化された多くの国々のように森林率の低い国になっていたかも知れない。しかし、そうはならなかった。一人の男が立ち上がって、火の玉のような運動を始めたからだ。その男の名前は南方熊楠である。彼については明日の日記で紹介しよう。
さて、民主主義について書くつもりで、エコロジーの方に話が進んだが、これは何も脱線というわけではない。民主主義の根底にあるものは何か。それは人間世界だけではなく、この地上に生きる森羅万象の命を尊重するという共生の思想である。私は民主主義はここまで深くなければならないと考えている。
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