橋本裕の日記
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2004年07月28日(水) 喪失の国、日本

 以前、私の職場の同僚が、イギリスにホームステイをしたとき、向こうの人に収入を聞かれて答えたところ、その高額なのに驚いていたという。彼は毎夏、いろいろな国にホームステイをするのが趣味だった。

 日本ではたかが高校教師の収入など知れているが、彼の手にするボーナスが、たとえば東欧の国の人々の生涯賃金にも匹敵することがある。世界を体験してみると、日本という国がいかに豊かで安全な国か骨身にしみてわかるという話だった。

 シャルマさんが初めて日本に来て、空港で両替したとき、日本の最高紙幣である1万円がインドの最高紙幣の25倍もあると知って驚いている。ビュッヘの朝食は1500円もしたが、これはニューデリーで食べていた定食の40食分だという。

 インドでは荷物は片時も離さず、買い物をしたときはお札は相手の目の前で一枚一枚数えなければならない。ホテルでも甘い顔をすれば2日分のところ3日分も請求してくる。相手につけ込まれないためには、多少尊大な態度をとらなければならない。しかし、日本では事情が違っていた。

<ところが、そういうことが日本では不要なのだ。一面識もない相手を信じ、誰も裏切らない。汚れて使えない札を渡す失礼な人間は一人としていない。キャッシュ・カウンターで1万円を両替したが、渡された札は6月のバニヤンの葉のように真新しく、折り目がまったくなかった。新札になれない私は本物かどうか心配になり、よほど古い札に取り替えてもらおうかと思ったほどだ>(「喪失の国、日本」以下の引用も同じ)

<日本では、請求書に悪意の数字が一つもなく、隙があればつけ込むという邪心もなく、したがって、あくせくした議論の必要がない。安全な国だとは聞いていたが、これはほんとうにおどろくべきことだ。自分の荷物をおいたまま傍らを離れるという風景は、私にはとくに信じ難かった。このように「信頼が先行する文化」を実現している国は、世界的にひじょうに希だと思う>

 日本では落とし物をした人は交番に届けるのが普通だが、インドの場合は、まずそうしたことは考えられないという。なぜなら、落としたのは本人の過失だからだ。だから警察はまず取り合ってくれないし、また、落とし物を警察に届けるような者もいない。

<落とした財布も、警察は探してくれるのである。見つかると「財布が出てきました」と連絡をくれる。チップは不要。警察は犯罪捜査のノウハウを生かし、このような市民サービスも行っている。拾って着服した者がいた場合は犯罪者として扱い、犯罪の要因を準備した「落とし主」は責めない。落とし主は、自分の不注意によって罪をつくらせてしまった良心の呵責をまったく感じなくていいのである>

 シャルマさんが日本にきて感心したのは、職場で働く人々の態度だった。客に親切なことはいうまでもないが、職員同士も紳士のような口を利き合い、「働く者どうしがお互いに客という感じ」で、命令口調がない。人間関係がスマートで、洗練されている。

 ホテルでも、誰がマネージャで誰がフロント係かわからない。全員がマネージャーのような服装をしていて、態度は全員がフロント係のようである。つまり、上下の関係を感じさせない。そして、その態度はあくまでお互いに親切でやさしい。しかもこうした行き届いたサービスがチップ抜きで行われている。

<空港でもそうだったが、チップというものがまったく要らない。バスに荷を運び入れる係員に、アメリカ人らしい乗客がチップを渡そうとして辞退される場面もあった。これはのちに知ったことだが、かりに彼が充分な給料をもらっていなくても、日本人はチップを辞退するのである。(略)

 その若い係員はどの客に対しても公平だった。彼は、出発間際にバスに乗り込んできて、帽子を脱いで客に深々と一礼した。素晴らしい出来ばえだと、私は感動した。インドは、おそらく三十年たってもこのようにならないだろう>

 シャルマさんは「日本は信頼が先行する国」だという。そして、世界一平和で安全な国、上下の関係を表にあらわさない洗練された文化をもつ平等な人々のすむ国。貧富の差が激しく、多くの者が、分かち合うことのできない苦しみを苦しんでいる矛盾にみちたこの世界で、日本はその数少ない素晴らしい例外である。

 しかし、問題は、日本人自身がこのことの価値を自覚していないことだ。そのために、その貴重な遺産を平気で破壊しようとする。新しい利潤追求の原理が、従来の労働と企業のイメージを根本から変え、人の心の価値観をも変えてしまう。

<日本ではすでに、外資の影響を受けない産業においても、この種の原理が働きはじめている。圧倒的な資本力をもつ大企業が、地方に進出して市場を攪乱し、零細企業をつぎつぎと倒産させ、消費の概念、消費の構造式までも変えている。(略)

 インドの片田舎ではすでに異変がおきている。下層民たちが、食うものまでも減らしてテレビを手に入れようとしはじめているのだ。かつかつの暮らしをしている者たちまでもが、このような競争に踊らされる経済活動をわれわれはどう捕らえたらいいのか>

 シャルマさんはここまで書いてきて、思考が停止し、「ペンをもつ手が急に重くなった」という。そして、「喪失の国、日本」をこの一文で終わらせている。彼が日本に見たものは、「信頼」であり、その信頼が「喪失」しつつある姿であった。その無惨な姿が、彼にはそのままインドの未来の姿として重なってきたのだろう。

 信頼と平等を誇る日本社会でさえもが、いま行きすぎた市場原理のもとに急速に崩れつつある。この崩壊をどうくい止め、そして新しい原理に基づいてこの社会をどう立て直していくか、これは私たち日本人が解決しなければならない課題であろう。


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