橋本裕の日記
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2004年07月26日(月) 遠い国、インド

 インドでもう数十年間もヒットを飛ばし続けている映画の主題歌がある。それは「おいらの靴は日本製」という歌だそうだ。

 おいらの靴は日本製
 はいてるズボンはイギリス製
 だけど心はインド製

 この歌が作られたのはシャルマさんが生まれた1955年だという。そのころは日本は靴を輸出していたのだろうか。現在では目立つ日本ブランドといえば、地元に根付いたスズキのコンパクトカーくらいらしい。「おいらの車は日本製」というところだろうか。

 インドは人口十億をようする巨大市場である。1人当たりの年間国民所得約500ドル(約5万円)と低く、6億人は極貧層だといわれているが、それでも昨年の経済成長率は8パーセントを越えている。中産階級は2億人を越え、マーケットの規模はアメリカにも匹敵する。

 世界最大・最強のIT技術者集団を擁し、欧米企業のアウトソーシング(外注)の世界的中心地にさえなった。こうした世界の動きの中で、日本企業はあまりインドに関心を払おうとしない。依然としてインドは遠い国なのである。シャルマさんが日本にきて気付いたことも、日本の新聞にはインドのことがほとんど書かれていないということだった。

<日本はアジアの雄だから、日本の新聞を読めばアジアの今日のすべてがわかると思っていただけに私はおどろいた。日本のインドへの援助額の大きさを考えると、日本が常々インドに大きな関心を抱いており、日々、わが国の情況が紙面で伝えられているにちがいないと思っていたのである。

 国外記事は欧米偏重で、アジアは軽視されていた。完全に排除されているといった感じである。私の立場ではこうした欧米中心の新聞のほうが勉強になるが、アジアで起きているさまざまな問題が、アジアの情報センターともいうべき日本でほとんど報道されていないことは意外だった。

 国内記事についていえることは、事件中心で論評に乏しく、非個性的で、外見的な記述に終始していることである。この姿勢は報道というより報告というべきもので、その多くが通り一ぺんのレポートにとどまっている。帰納的論法や見識が排除され、署名記事や論説委員による記事の割合も少ない。

 このことについては、のちに雑誌編集長の坂本氏から、その部分は週刊誌や月刊誌に委ねられていると教えられた。日本の多くの週刊誌はすべての分野を取りあげ、芸能界のゴシップから政治経済、軍事、風俗にいたるまで、完膚なきまでに事件を切り刻む体質があり、それは「週刊誌文化」と呼んでいい独特のものだという。

 ゴシップや卑猥な事件ばかりを取り上げる低俗な週刊誌も若干あるそうだが、氏によれば、そういう下手物的週刊誌の存在こそ、彼らが社会的正義や分別を持ち合わせていないだけに、ときのは報道のタブーを冒して暴露するパワーがあり、存在意義もあるというのである。この二つの報同文化がテレビを巻き込みながら止揚的役割を果たし、人々に真実を提供するというシステムを、日本はもっているのである>

 日本の報道文化についてのシャルマさんの理解はおよそ正しいように思う。私の見るところ、日本の新聞の「報道というより報告」という姿勢は、論理と実証性を重んじる客観的精神の乏しさからきているようだ。

 真実を追究し、事件の本質を人々にわかりやすく伝えようというジャーナリズム精神が限りなく希薄である。欧米偏重、アジア軽視という風潮も、こうしたご都合主義的な新聞報道の体質と無縁ではない。 


橋本裕 |MAILHomePage

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