橋本裕の日記
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2004年07月15日(木) 真理へのはるかな旅

 アリストテレスは船の帆の見える様子や月食の観察から、この大地が丸いことを正しく推測している。アレキサンドリア図書館の館長だったエラトステネスは、太陽の南中角度の観察と計算によって地球の半径を求めた。それでも、多くの人々は地球が丸いということを受け入れることができなかった。

 もし、丸かったら、反対側の人はどうなるのだろう。逆立ちして大地にしがみついて暮らしているのだろうか。手を離したりしたら、大空に「落ちていく」のではないだろうか。重力についての知識が乏しかった昔の人々は地球が丸いという学者の説は理解できなかった。

 大地が平たいとすると、その果てがどうなっているのだろうか。滝のようになっていて、そこに近づくと船はその滝から落ちてしまうのではないか。船乗り達の中にはそんな俗説を信じている者も多かったに違いない。

 これを覆したのがコロンブスだった。彼は大地が丸いとしたら、大西洋を西に進むことで東洋へたどり着くのではないかと考えた。そして実際にこれを実行した。彼が発見したのは東洋ではなくアメリカ大陸だったが、彼はこれをインド大陸だと考え、原住民をインデアンと呼んだ。

 コロンブスのあと、マゼランが地球一周の航海に出た。こうして大航海時代が始まり、もはやこの大地が丸いことはだれもうたがわなくなった。人々はようやく、アリストテレスが考えた世界像を受け入れたわけだ。ひとつの真実が受け入れられるまでに、実に千年以上の年月がかかっている。それでも真理はいつか人々に受け入れられる。私の好きなアリストテレスの言葉を引用しよう。

<すべての論述に対して同じ精確さが求められるべきではない。事柄の本性が許す範囲において、それぞれの類に応じた精確さを追求することが教養をそなえたひとに相応しいことだからである。人は誰でも自分の見知っていることをただしく判断する者であり、見知っていることについての善い判定者である。ひとが何をなすべきかを正しく判定するのは万事にわたる教養をそなえたひとである>(「ニコマコス倫理学」1巻3章)

 しかし、アリストテレスでさえ、宇宙の中心は地球で、太陽や星星は地球の周りを回っていると考えていた。コペルニクスが地動説を唱えても、おおくの人々はこれを信じなかった。なぜなら、大地が動いていたら、私たちはどうやってその上で安閑と暮らせるのだろう。私たちは大地に遅れないようにいつもものすごい速度で走っていなければならないのではないか。

 この疑問にガリレオは「天文学対話」の中でこたえている。動いている船のなかで、私たちは安閑に暮らしているではないか。甲板にいる人は、船から落ちないためにいつも走っているわけではない。私たちもこの地球という船に乗っていると考えればよいのだ。

 同じ早さで動いているとき、私たちは力を感じない。私たちが力を感じるのは、速さを変えたときと、運動の向きを変えたときである。地球は充分に大きいので、地表はほとんど等速直線運動をしているとみなしてよい。その上に暮らしている私たちも等速直線運動をしており、余分な力の干渉をうけないのだ。

 しかしガリレオのこの本は教会によって発禁になった。ガリレオは宗教裁判にかけられ、火あぶりの刑はまぬがれたものの、余生を監禁されることになった。しかし、監禁されながらも、ガリレオは本を書き続けた。彼は「新天文対話」で、登場人物のサグレードの口をかりて、こう述べている。

<数学でしか見られない厳密な論証に接して、私は脅威の念と喜びでいっぱいです。砲手の説明から、私は砲弾が最も遠くまで飛ぶ角度は45度だということを知っていました。しかし、そのことがなぜ起きるのかを理解することは、たんなる知識よりはるかに勝っています>

 1971年、アポロ15号の船長スコットは、月面にハンマーとタカの羽を落とし、両者が同時に落下するのを見て、「これでガリレオが正しかったことが証明された」と語った。それでもまだ、教会は沈黙していた。

 ようやく1992年、教皇ヨハネ・パウロ二世は、法王庁がおかした過去の誤りにはじめて言及し、ガリレオの思想を是認している。NASAの打ち上げたガリレオ探査機が木星に到達したのは、その3年後の1995年のことだった。


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