橋本裕の日記
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2004年07月14日(水) 心のなかの制帽

 制帽について、いやな思い出がある。私が生まれ育った福井県の場合、小学校の制帽には白線がないが、中学校では一本、高校では二本の白線があった。制帽を見れば、小学生か中学生か高校生かわかるわけだ。

 ところが私立高校の制帽には白線がないので、私たちは私立高校生のことを「小学生」なみにバカにしていた。それは中学校の先生からしてがそうで、「勉強しないと小学生に逆戻りだぞ」という意味のことをいう。

 この問題が解けるのは、○○高校のレベル、これは△△高校のレベルだと言われ、そうした中で高校の格差が中学生である私たちの頭に中にインプットされていく。そしてその序列の最底辺に白線のない私立高校の生徒たちのにきび面が浮かんくる。ああした連中の仲間にはなりたくないというわけで、中学生は県立高校の二本の白線にあこがれて勉強したわけだ。

 私の家のすぐ近くには県下一の名門の県立高校があった。私は当然のようにそこを受けたが落ちてしまい、軽蔑していた白線のない私立高校の帽子をかぶることになった。近くの県立高校ではなく、遠いところにある私立高校まで白線のない帽子を、世間の目を気にしながら、劣等感にさいなまれて毎日歩くのはとてもつらいことだ。

 高校一年生の夏休み、中学時代に親友だったAと、一泊で旅行に行ったが、私は制帽をかぶらなかった。県立高校生の彼は制服を着て、白線の二本入った帽子をこれみよがしにかぶっていた。私は彼の誇らしげな表情にとまどい、そして心のなかで、そっと決別を宣言した。彼とはそれ以来会っていない。

 私が高校受験に失敗した翌年、田舎に住んでいた父方の従兄弟が、私が失敗した県立高校に見事に合格し、しかも私の家の私の隣りの部屋に下宿して、学校に通いはじめた。これはつらかった。私は無神経な親戚や両親を恨んだ。この恨み、じつは現在も残っている。

 私立高校でも私の成績はふるわず、クラスでビリ近くだった。物理で赤点をとって職員室によびだされたりした。父には定時制に転学し、昼間働けとつきはなされたこともある。ぐれて、不良仲間にはいりかけた。河原でバイクを乗り回す計画に私も参加するつもりだったが、小学校からの友人のBに、「お前には似合わないから一緒に来るな」と言われてやめた。そのときはBにも見放されたようで淋しかったもだ。

 淋しさと孤独の中で、何かに縋るような思いで図書館に通い、色々な本を読んだ。トルストイやドストエフスキー、歎異抄、ラッセル、デカルトの「方法序説」やカントの「純粋理性批判」など、高校時代に手当たり次第読んだものだ。そうした宗教や哲学の本を読みながら、勉強もした。おかげで、大学の理学部に現役で合格できた。その後もいろいろあったが、大学院に進んで、現在は県立高校で数学をおしえている。

 生徒には「人生は何が起こるか分からないから、絶対にあきらめるな」と言っている。そして一番大切なのは、いい友人をもつことだとも。私に「来るな」と言ってくれた友人とは今でもつき合っている。

 差別されて初めて、差別されることの痛みがわかる。私は白線のない帽子を自らかぶることで、自分がどんなに残酷で高慢であったかがわかった。今になって振り返ってみると、これはとても貴重な体験だった。こうした体験がなければ、私は今以上に傲慢で鼻持ちならない人間になっていただろう。

 心の中に「学歴という制帽」をいまだに得意にかぶり続けている人がいる。そして、今の子どもたちも又、目に見えない制帽をかぶらされているのではないだろうか。いわれのない劣等感や驕慢心や差別心が、そこで増殖されているのではないかと恐れている。


橋本裕 |MAILHomePage

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