橋本裕の日記
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| 2004年06月30日(水) |
共に学び、生きる楽しみ |
去年にひき続き、今年も「犬山大学」の学生を続けることにした。先日も「犬山大学」の入学式で、舞台俳優の浜畑憲吉さんの心温まる話を聞いてきた。
人口わずか7万余の犬山市だが、毎年、市民のために「大学」を開校し、私たちに生涯学習の場を提供してくれている。受講者は800人ほど。老若男女、いろいろな人が政治、経済、歴史、社会、教育問題など、熱心にそこで学んでいる。
「学ぶことは生きること、生きることは学ぶこと」というのが、この「大学」のモットーであり、その学舎に集う人々のモットーだ。私の一番のたのしみは学ぶこと。なぜなら、学ぶことで心がゆたかになるからだ。
聖書にパンの奇跡が書かれているが、「分け与えても減らないもの」がこの世に中にはある。それは知識であり、知恵であり、愛情だ。奪い合うことではなく、分かちあうことに喜びを見出せたら、それこそがすばらしい人生ではないか。犬山大学にはそうしたすばらしい人生への鍵がある。
浜畑憲吉さんは「江戸時代」の人々のゆたかな暮らしを紹介しながら、「東京は町ではありません。田舎です」という。今の東京には「生活」があっても「暮らし」はない。いや、東京だけではなく、日本国中が人と人の温かい繋がりを失って砂漠化しているのではないだろうか。
浜畑憲吉さんは大の動物好きだが、最近は外国旅行に行っても、犬に手を出さないようにしているという。狂犬病が怖いからだ。狂犬病は日本以外の多くの国でいまだに勢力をたもっている。狂犬病ウイルスによる致死率は高く、毎年3万人以上の人が亡くなっているらしい。
興味深いのは、この恐ろしいウイルスをアフリカの野生動物の大半は持っているとのこと。つまり、このウイルスはシマウマやキリンやライオンの体内にいるときは何も悪さをしないのに犬や人間がこれに感染すると100パーセント死んでしまう。
浜畑さんは、どうして狂犬病が発症するようになったのかについて、それは人間が自然を破壊したせいだろうと述べていた。人間が犬とともに彼らの領分に踏み込んで、たとえば犬がシマウマなどの肉を食べて感染したのではないかという。
もともと狂犬病ウイルスは野生の動物と共生していた。野生の動物は彼らに衣食住の環境を与え、そのみかえりとして外部の侵入者にたいして力強い「傭兵」となってくれる。狂犬病ウイルスに限らず、エボラ熱やエイズなどの恐ろしい感染症ウイルスにつても、これと同じようなメカニズムが働いているのだろう。これらは自然破壊を続ける人間に対する自然界の反撃であり、警告だといえるのかもしれない。
話はかわるが、私はキリスト教やイスラム教などの「一神教」的な発想よりも、仏教や神道の多神教的発想がこれからの国際社会では重要ではないかと思っている。仏教や神道は世の中の「多様性」を認め、そうした多様な生き物がお互いに支え合ってこの世の中が成り立っているという共生の思想だ。
私は高校時代に親鸞の「歎異抄」を読んで、こうした思想に親しみを感じた。その後、西洋哲学を学び、社会科学や自然科学を学ぶ中で、こうした思想を大切にはぐくんできた個人史がある。その集大成として数年前に、「人間を守るもの」を書いた。
私は、「共生」というのは、人間も含めて、自然界が本来もっている姿だと思っている。私たちはすべて、「生かされて生きている」存在であり、本来的に共生してしか生きることのできない存在なのだ。
しかし、この共生を阻害する要因がないわけではない。私たちは自然のなかで、社会のなかで、そのシステムの中で共生して生きているわけだが、そのシステムが破壊されたり、機能不全になると、共生が困難になりる。
そうしたことが現に今この世界に生じているわけで、これを本来の「共生」の方向に戻していかなければならない。浜畑さんがいう人間本来のゆたかな暮らしを取り戻すためにも、このことは大切だ。そうしたことを、これからも学び続け、あらゆる機会をとおして、身近な人々に語り続けたいと思っている。
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