橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
ピタゴラスはこの世界は1,2,3・・・という自然数でできていると考えた。数字をたんに実用的な道具とは考えずに、この世界を創造した「神の言葉」だと考えたわけだ。
すべては「自然数からできている」という彼の思想は、無理数の発見によって崩れたが、自然数の世界に崇高な美と調和を感じ取り、数学を芸術にまで高めた彼の功績はすばらしいもので、その後の影響もおおきかった。
ギリシャ人というのは、森羅万象の背後にあるものを、理論的に突き詰めて考えた最初の人々だった。ターレスは「万物の根源は水」だと考えたし、デモクリトスのように、「原子」を考えた人もいる。そうした中で、ピタゴラスは抽象的な「数」によって森羅万象が説明できると考えたわけだ。現代の数学者や物理学者もまたピタゴラスの徒であると言えよう。
小川洋子さんの小説「博士の愛した数式」には、こうした「数の世界」の不思議な美しさがよく描かれている。その感想を友人のTenseiさんが日記帳に書いているので、一部を引用してみよう。
<17年前の交通事故で、80分間しか記憶できなくなった元数学者と、その男の世話をする家政婦とその子どもの、3人の交流を描いた物語である。これといってドラマティックな事件があるわけでもない。全体としては、淡々とした物語である。
ドラマティックといえば、私のような数学知らずにとっては、博士(元数学者)によって語られる、数に秘められた真理の説明と、博士が子どもというものを異常に大切にしようとする言動だ。全編に温かさが感じられる。数の世界の不思議も、人間的な血が通っているかのごとくに描かれている。
博士の数への愛と、子どもを慈しむ気持ちとに共通点があるかのように、主人公も数の世界への関心を深めていくが、私自身も、もっと知りたいという欲求に駆られたことは言うまでもない。
高校時代に、こんな数学を聞いた記憶がない。実は習ったのに忘れたのだろうか、それとも、こういうおもしろい数学を、中学・高校では扱わないのだろうか?>
「博士の愛した数式」は数学の研究会でも、「よく書けた小説なので、是非、生徒に読ませてやりたい」という意見が聞かれた。私も読んでみて、これは大変いい小説であり、「数学入門」としても、面白いと思った。その雰囲気を伝えるために、博士の言葉や、博士の世話をしながら、数学のすばらしさに目覚めていく女性の言葉を引用しておこう。
「私と息子が博士から教わった数え切れない事柄の中で、ルートの意味は、重要な地位を占める。世界の成り立ちは数の言葉によって表現できると信じていた博士には、数え切れない、などとう言い方は不快かもしれない。しかし他にどう言えばいいのだろう。私たちは十万桁もある巨大な素数や、ギネスブックに乗っている、数学の証明に使われた大きな数や、無限を超える数学的観念についても教わったが、そうしたものをいくら動員しても、博士と一緒に過ごした時間の密度にはつりあわない」(P4)
「見てご覧、この素晴らしい一続きの数字の連なりを。220の約数の和は284。284の約数の和は220。友愛数だ。滅多に存在しない組み合わせだよ。フェルマーだってデカルトだって、一組ずつしか見つけられなかった。神のはからいを受けた絆で結ばれあった数字なんだ。楽しいと思わないかい?君の誕生日と、僕の手首に刻まれた数字が、これほど見事なチェーンでつながり合っているなんて」(P27)
「私が推察するに、素数の魅力は、それがどういう秩序で出現するか、説明できないところにあるのではないかと思われる。約数をもたないという条件を満たしながら、一個一個好き勝手に散らばっている。数が大きくなればなるほど見つけるのが難しいのは間違いないにしても、彼らの出現を一定の規則によって予言するのは不可能であり、この悩ましい気まぐれさ加減が、完璧な美人を追い求める博士を、虜にしてしまっているのだ」(P85)
「普段使っている言葉が、数学に登場した途端、ロマンティックな響きを持つのはなぜだろう、と私は思った。友愛数でも双子素数でも、的確さと同時に、詩の一節から抜け出してきたような恥じらいが感じられる。イメージが鮮やかに沸き上がり、その中で数字が抱擁を交わしていたり、お揃いの洋服を着て手をつないで立っていたりする」(P87)
「素数を見るたび、博士を思いだした。それはありふれた風景のどこにでも潜んでいた。スーパーの値札、表札の番地、バスの時刻表、ハムの賞味期限、ルートのテストの点数・・・そのどれもが、表向きの役割に忠実でありながら、裏に隠れた本来の意味を健気に守り支えていた」(P156)
「素数の性質が明らかになったとしても、生活が便利になる訳でも、お金が儲かるわけでもない。もちろんいくら世界に背を向けようと、結果的に数学の発見が現実に応用される場合はいくらでもあるだろう。楕円の研究は惑星の軌道となり、非ユークリッド幾何学はアインシュタインによって宇宙の形を提示した。素数でさえ、暗号の基本となって戦争の片棒を担いでいる。醜いことだ。しかしそれは数学の目的ではない。真実を見出すことのみが目的なのだ」(P159)
「私はもう一度、博士のメモを見直した。果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙から π が e の元に舞い下り、恥ずかしがり屋のi と握手する。
彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足し算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0に抱き留められる。
オイラーの公式は暗闇に光る一筋の流星だった。暗黒の洞窟に刻まれた詩の一行だった。そこにこめられた美しさに打たれながら、私はメモ用紙を定期入れに仕舞った」(P176)
引用したい文章がたくさんある。読まれていない人には、一読をすすめる。数学の衣装で飾られた自然がとてもチャーミングでミステリアスな「美人」であることに心がときめくだろう。お金が儲かるわけでも、腹がふくれるわけでもないが、心がゆたかになる。
(e の πi 乗)+1=0
これが、博士が最後に「メモ」に残した「オイラーの公式」である。幾何学を代表する定数π(円周率)と、代数学を代表する定数e(オイラーの定数)が、虚数単位i と1とによって一つに結びついている。数ある数学の定理の中でも、もっとも美しく神秘的で、奥が深いといわれているものだ。この定理のすばらしさについてさらに知りたい人には、吉田武さんの「オイラーの賜物」(海鳴社)をお薦めする。
|