橋本裕の日記
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| 2004年06月19日(土) |
美人コンテストと選挙 |
資本市場における価格決定のメカニズムを、ケインズは「美人コンテスト」にたとえて説明している。たとえば、今ここに10人の候補者がいて、一般投票で美人ナンバーワンを決めるとしよう。そうすると、人々は自分の好みに応じて投票するに違いない。
「十人十色」「蓼食う虫も好きずき」と言われるように、人の好みも違っているから、票はそれぞれの候補にそれなりに分配されるに違いない。その中から、比較優位が生まれ、ナンバーワンが決定する。
ところが、このコンテストが「ナンバーワンに投票した人に抽選で賞金を与える」という恩典がついていたらどういうことになるか。投票者は償金欲しさに、「自分お好み」だけではなく、「他人の好み」を勘案して投票することになるだろう。
自分はぽっちゃり型のA子が好きなのだが、一般の流行は細身のB子だとしたら、自分の好みに反して、細身のB子に投票するに違いない。つまり自分の好みや信念に従うよりは、世間の動向に従う方が最適戦略なのである。そして、比較優位のなかから、絶対優位が生まれることになる。ケインズは資本市場というのはこうしたメカニズムで動いていると考えた。
たとえば、私たちがある会社の株を買おうとする場合、環境問題に対する姿勢や製品の性能から見てA社が好ましいと考えても、世間ではB社が人気だとすると、B社の株を買った方が得だということになる。そして多くの人がそうした最適戦略に基づいた投資行動をすることで、ますますB社の優位が作られることになる。
投資のプロ集団は、いつも自分の最適戦略とは何かということを計算している。たとえば、C社の経営があぶないと分かっていても、C社に投資して株価をつりあげ、素人集団がこれに反応して株を購入し、株高になったところで、いちはやく自分たちは資金を引き上げ、差益を確保する。
株は基本的には「ゼロ・サム」の世界だから、だれかが儲かるためには誰かが損をしなければならない。そしてプロが儲かるためには、素人は損をしなければならないわけだ。経済学者の永谷敬三さんは「なかなかの国ニッポン」(中央経済社)にこう書いている。
<少々エゲツないいい方をすれば、本来市場を正しくリードすべき玄人筋にとって、自然を相手に長い視野で堅気のゲームをするよりも、無知な大衆を相手に売買ゲームをする方が手っ取り早く、かつ儲けも大きいということなのである。(略)
投票者各人が自分の好みに従って一番美しいと思う人投票するというのは、新古典派的発想であるが、ケインズは、人々は現実にはそういう選択の仕方はしないと主張する。自らの好みあるいは信念に従って行動することが最適戦略でなくなるというところに資本主義市場のユニークさがあるといってもよい>
人気者(最多得票者)がだれであるのかを知るためには、他人の好みを知るだけではいけない。なぜなら、他人も又、自分の好みによってではなく、他人の好みによって投票するからだ。そしてここにプロ集団が介入する余地が生まれる。
その結果、それぞれの投票者が自分の好みで投票した場合とは全く違った候補者が選ばれることが起こってくる。そしてこうした不可解なメカニズムで選ばれた候補者を、投票者はあたかも自分の「好み」であるかのように錯覚する。
「美人コンテスト」のたとえは、経済ばかりでなく、政治の世界にもつかえるだろう。私たち有権者の投票行動も又、このゲームの理論による「最適戦略」の好例である。この点で、「死に票」を多く作り出す「小選挙区制」はこうした政治ゲームを助長することになる。民意を反映させるためには、問題の多い制度だといわなければならない。
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