橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
書物や新聞、雑誌を読んでいて、たまに「我が意を得たり」と思わされる文章にであうことがある。嬉しくなって、頭の中でいろいろと反芻しているうちに、自分なりの思索が流れ出してきたりする。そうした日は、一日楽しい。
朝日新聞の朝刊に掲載されている梅原猛さんの「反時代的密語」は楽しみにして読んでいるが、昨日掲載された「民主主義道徳の創造」は、まさに「我が意を得たり」という文章であった。まず、その出だしから、すばらしい。
<戦後60年間、日本人は大変重要なことをおろそかにしていたように思われる。それは平和憲法と対をなす新しい道徳を創造することである。
明治22年(1889)、大日本帝国憲法が発布されるや、翌年、教育勅語が作られ、法律と道徳が対をなして日本帝国の発展の基礎をつくった。その基礎の上に後進国日本は軍事大国となったが、「大東亜戦争」での敗戦によって日本帝国は終焉をむかえた>
梅原さんは、戦後日本では教育勅語が廃され、旧来の道徳も否定されたが、これにかわる新しい道徳は与えられず、家庭でも学校でも道徳は教えられなかった。その結果、道徳なき人間が育ったという。
<そのような人間のなかから、理由なく人を殺す子どもや、汚職や詐欺などの恥ずべき犯罪を行う大人が出る。私は、日本の庶民の道徳的水準はまだそれほど低くないと考えているが、日本人が長い間、精神の糧としてきた仏教や儒教の教えが心のどこかにまだ残っているからであろう。その道徳的遺産も尽き、道徳性のまったく欠如した人間の跳梁する恐るべき時代が遠からず到来するに違いない。
過去の道徳的遺産がある間に新しい道徳を創造することが必要である。しかし政府にそれを期待することはできず、何人かの個人によって私案が作成されなければなるまい。やがてその私案が統一され、公論となってしっかりした民主主義道徳が作られ、そのもとに日本の教育が行われるべきだろう>
実のところ、平和憲法と対になる道徳らしいものが作られなかったわけではなかった。それは「教育基本法」である。第一条には「教育の目的」が、「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成すること」にあると書いてある。
もちろんこれを「道徳」と呼ぶことはできないだろう。しかし、これを教育の現場で実践をとおして内面的に深めることによって、新しい道徳がここから生まれたのではないかと私は思っている。しかし、現実にはそうはならなかった。
そうならなかった原因のひとつに、私は学校がたんに「知識」や「技術」の伝達の場でしかなかったことがあげられると思う。しかも教師はこれを「受験体制」のなかで効率よくなしとげなければならなかった。受験戦争は「ゼロ・サム」のサバイバル・ゲームの世界である。
学校がこうした排他的な競争の主戦場となり、「教育」が「狂育」となり、心身の傷害をともなう「凶育」となるとき、そこにどんな道徳的感化が可能だというのだろう。こうしたバトル・ロワイアルと化した学校で「共生の意義」を語り、「道徳」を語ることはほとんど意味をなさない。
もしそれを語る教師がいたとしても、生徒達にはたんなる偽善者としか映らないだろう。かくして、教師自ら「道徳」やそれにまつわる思想を何か現実から遊離した胡散臭いものとして語らなくなったのだと思う。
それではどうしたらよいのか。梅原さんは、「何人かの個人」によって私案が作られ、これが統一されて公論になり、道徳となって、これによって教育が行われる必要があるという。その私案について、梅原さんは、「仏教の道徳を中心にして、たとえば儒教の人間への信頼、神道の自然崇拝、キリスト教の希望を総合したもの」を考えている。そして最後をこうしめくくっている。
<新しい道徳をあまねく日本人のものとするには政治の力を必要とするが、今の日本の政治家はむしろその反面教師を演じているようにさえみえる。嘆かわしいことである>
私は「何人かの個人」によって私案がつくられ、これが公論となって新しい道徳がつくられる可能性を否定はしないが、あまり現実的ではないと思う。政治の力を過信することも危険である。道徳は力で上から押しつけられるものではないからだ。
私は今の学校の体制、具体的に言えば、大学受験の体制を変えることが一番現実的だと思っている。体制を非人間的なものから人間的なものに変え、環境を競争的なものから共生的なものに変えていくことで、教育はのびのびとその本来のゆたかさと、本来の創造力を取り戻すだろう。そうした環境整備のために、私たちは公論をよびここし、政治を動かしていかなければならないのだと考える。
日本国憲法・教育基本法と対になる道徳はこうした中で創造されるべきもので、数人のエリートの頭の中でつくられ、大衆に押しつけられるものではない。しかしこのことは、オピニオンリーダーの存在を否定はしない。私は梅原さんに期待している。私が主張している「競争から共生へ」という考え方も、梅原さんの仏教哲学に学ぶ中で培われてきたものだ。
日本国憲法の根本にある精神は何か。私はそれを「共生」だと考えている。そして、道徳もこの「共生」という原理の上に建てられるものだ。日本国憲法を守りたいという願いは、この「人類共生」の願いでもある。戦後の日本の教育が見失ったものは、「共生の心」だった。民主主義的道徳の復興は、こうした思想的反省の上に、具体的な体制の変革と、新たな実践をともなって、はじめて可能になるだろう。
|