橋本裕の日記
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2004年06月15日(火) 日本の司法改革は成功するか

 アメリカやイギリスには、日本の「六法全書」のような法典がない。憲法でさえも非常に簡明に出来ていて、しょっちゅう書き換えられる。これは基本的にアメリカやイギリスが「慣習法」の世界だからだ。アメリカの裁判官はアメリカ的なコモンセンスと、過去に行われた厖大な判例によって判決を下している。アメリカでは法は議会でではなく、「法は法廷で作られる」とさえ言われている。

 これにたいして、日本の明治政府は「ローマ法」や「ナポレオン法典」に代表される大陸型の「成文法」の司法制度を作り上げた。これだと裁判官は法にてらして判決を下すことができる。もちろん判例は参考にするが、あくまでも基本にあるのは法で、判例が中心ではない。だから、過去の厖大な判例に悩まされることはなく、割合効率的に判決を下すことができる。

 このことは、人口一人当たりの弁護士の数にも現れている。人口比でみると、アメリカは日本の26倍もの弁護士がいる。クリントン夫妻が弁護士の出身だったように、アメリカの政治家や議員も圧倒的に弁護士出身者が多い。

大陸型の「成文法」と、アングロ・サクソンの「慣習法」の世界とは、水と油のように違っている。これは「法」をどのように捉えるかという法哲学の違いであり、伝統や権威を重視するか、現実を重視するかという社会観や政治観の違いからきている。それぞれに長所と欠点があり、一概にどちらがよいとはいえない。

 第二次大戦で日本が敗れたとき、マッカーサー占領軍は日本社会の根本的な改革に乗りだした。その象徴が「平和憲法」の制定だろう。しかし、憲法をかえはしたが、日本の法文化そのものを変えることはしなかった。日本は敗戦後も、ヨーロッパ大陸的な「法典主義」の司法制度を続けることになった。

 これはGHQの司法制度改革の担当課長だったアルフレッド・オプラーがドイツから亡命してきたばかりの元ドイツの裁判官だったことによる。マッカーサーは日本が大陸法の国であることを勘案して、彼に日本の司法改革を任せたのだろう。その結果、日本には大陸型の司法制度がそのまま生き残ることになった。 オプラーは「日本占領と法改革」という著書の中でこう書いている。

<占領軍の大部分はアメリカ人であったので、彼らがアメリカ以外の国の民主主義の仕組みを無視する危険は、常に存在していて、私はすぐに、法律と司法の改革の分野で、その経験をすることになる。私はオハイオやフロリダやあるいはカルフォルニアにとっていいことは日本においてもうまく行くはずであるという態度にときどき遭遇したが、そういう態度は、日本法が大陸法に基づいていることを考えると、全く根拠がなかった>

<私たちは、アングロ・サクソン法の制度が大陸法のそれよりも優れていると考えがちであるかもしれないが、性急に一方を他方に置き換えるどんな誘惑にも抵抗すべきである。日本人は、今日に至るまで彼らが慣れ親しんできたものとは根本的に異なる制度を人為的に押しつけられても、この制度を使用することはできないだろう>

 ここにきて、アメリカは「年次改革要望書」でしきりに日本の「司法改革」を求めてきている。アメリカが日本に求める性急なアメリカ化の本質は何か。関岡英之さんは「拒否できない日本」にこう書いている。

<その直接的な目的は、アメリカ企業にとって有利なビジネス環境を日本につくりだす、ということだ。そしてもし、既に落ちぶれたとはいえ世界第二の経済規模を持つ日本のシステムをアメリカ化することに成功すれば、世界のアメリカ化という誇大妄想も、あながち非現実的なものではなくなるだろう。(略)

 おそらくその根源には、アメリカ文明こそ世界に広めるべき普遍的な価値があり、日本やその他の非アメリカ文明はこれを熱烈に学び、ありがたく享受するべきだという、宗教的ともいえる信念があるのだろう。どうしょうもない確信犯的独善と言うほかはない>

 GHQでさえも躊躇した改革を、クリントンやブッシュは臆面もなく要求し、しかも日本政府は「構造改革」の名でこれに一方的に応じようとしている。日本政府に、日本とアメリカの司法体系の違い、ひいては文化的風土についての価値や尊厳についての認識や配慮が充分あるとは思えない。小泉首相自身、こうした「改革」のもたらすものが何であるのか、その重大性をどれだけ認識しているのか心配である。


橋本裕 |MAILHomePage

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