橋本裕の日記
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2004年06月11日(金) 愛国心の二つの顔

 愛国心は二つの顔を持っている。ひとつは「自分よりも国を大切に考える」という意味の愛国心である。自己中心的な利己主義の否定という意味で、「公共心」や「公徳心」または「道徳」と通じるが、これが行きすぎると、個人よりも国を過度に貴ぶ全体主義になる。

 そしてもう一つ、「他国よりも自国を大切に考える」という意味の愛国心がある。これは他国に対抗して自国を貴ぶという意味で、むしろ自己中心主義の匂いがする。前者の「脱自的な愛国心」に対して、こちらは「求自的な愛国心」である。これも過度になると、他国を敵視して対抗的になり、軍国主義になる。

 二つの愛国心に共通しているのは、いずれも、国を価値観の中心に据えようとしていることである。<個人−国家−世界>と続く階層構造のなかで、国家は媒介項に過ぎないはずだが、これを中心に据えて、人々の生活や思想を統一しようとする。

 いま、このような運動が盛り上がっている。そして憲法や教育基本法をこうした方向で変えていこうと主張する人がふえてきている。たとえば民主党の西村慎吾議員は「教育基本法改正促進委員会」の設立総会で、こんな発言をしている。

「お国のために命を投げ出す日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる」

「お国のために命を投げ出す機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない、この中で国民教育が復活していく」

 西村議員の発言の中には二つの愛国心が一体化している。そしてここから出てくるのは、個人の基本的人権の否定と、世界平和主義の否定であろう。これは憲法や教育基本法の精神の否定でもある。

「愛国心というものは、かって世界に存在した最大の狂気である。愛国心がもてはやされた結果は、また新たな戦争である」

 これはチャップリンの言葉だが、歴史をひもとけば、彼の言葉が正しいことがわかるだろう。「狂気」は恐ろしい伝染力を持っていて、一部の人々の「狂気」は、あっという間に、多くの人々に蔓延する。人々から正気を奪う「愛国心」を警戒しよう。そのために、愛国心のもつ「二つの顔」をよく覚えておこう。

「道徳の強制」と「外国の脅威」を言い立てる人々には、もう少し「正気に返って下さい」と言ってやりたいが、かえって「非国民」や「反日」と逆襲されそうだ。しかしこのことを恐れていては、「狂気」は結局、「冷酷な現実」によって破られるしかないだろう。


橋本裕 |MAILHomePage

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