橋本裕の日記
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| 2004年06月09日(水) |
豊かな社会をつくるために |
アメリカ人の多くは、「社会を富ますためには、個人を競争させなければならない」と考える。そして勝者と敗者を峻別し、金銭的報酬においても格段の差をもうける。この差が大きければ大きいほど競争は激化し、勤労意欲が高揚して、社会は発展すると考える。
この競争原理から生み出される政策は、経済活動の規制撤廃、累進所得税の緩和、社会補償費の削減、富裕層を中心とした減税などである。これによって、社会内の経済格差は広がるが、全体的に社会は豊かになり、国は他国との経済競争においても優位を占めることができると考える。
これに対して、日本人の多くは、「社会を富ますためには、みんなが力を合わせて協力し会わなければならない」と考えてきた。個人間の競争よりも、和を大切に考えるので、勝者と敗者を作ることをしない。金銭報酬においても差をもうけない。差を少なくする変わりに、社内や社会で表彰し、名誉や尊敬を与えることでその努力に報いようとする。
こうした集団的共生原理によって成り立っている日本社会は、個人的競争原理社会に生きているアメリカ人には理解できない。「みんなで力をあわせる」などと聞くと、何かよからぬ悪巧みをしようとしているという風に考える。金銭的報酬が勤労意欲の源泉だと考えているので、チップのない日本社会も異様に見えるのだろう。
しかし、日本に棲みついたアメリカ人の多くは、やがて日本びいきになる。なぜなら、勝者と敗者をつくらない日本社会は、競争原理にもとづくアメリカのサバイバル社会よりも数段住みやすい社会であることを実感するからだ。北米在住の経済学者・永谷敬三さんの「なかなかの国ニッポン」からいくつか引用しよう。
<アメリカ社会に暮らすには、やや誇張していえば、一歩家を出れば7人の敵という心構えが必要である。暴漢や強盗から身を守る警戒心が必要なだけではなく、何かイザコザに巻き込まれたならば、直ちに有能な弁護士を雇って戦う心の用意を常日頃培っておかねばならない。「人を見れば訴えろ」はアメリカ人の処世訓である>
6万人の囚人のいる日本社会は2万人の弁護士で動いているが、200万人を超える収監者をかかえるアメリカには70万人もの弁護士が活動している。これは全米の警察官の数をも上回る数だという。アメリカの弁護士はつねに金儲けの機会をうかがっており、交通事故が発生すれば、救急車よりも早く駆けつけるといわれるほどだ。その結果、アメリカの都市の公園から、遊具などがすっかりなくなったという。怪我をして訴えられるのを避けるためだ。
<アメリカの弁護士は、平均的にいって、実費プラス時間当たり三百ドルの料金を顧客から徴収する。これが払えない貧しい顧客の場合には、敗訴したらタダ、勝ったら相手方から受け取る補償金の3割りを申し受けるといった成功報酬契約が一般的である。この契約方式は原告側の要求金額を水増しする強い誘因を当事者にあたえる。(略)
これを要するに、アメリカのシステムにおいては、個々の市民にとっても、また社会全体からみても、生きていくための維持管理費が、日本社会などに比べると、非常に高いということになる。70万人の弁護士が平均年収20万ドル稼ぐとしても、市民相互の紛争解決費用が700億ドルとなるが、これはアメリカが湾岸戦争で近代兵器の粋を集めて立ち向かったイラクの国内総生産の2倍にあたる。
またこの社会では、個人がバラバラに生きているから、ストレスが高く、精神科医が大繁盛である。日本では医療費の国民所得に対する割合は、6パーセント台であるが、アメリカのそれは、15パーセントに及ぶ。それでいて、国民の全般的健康状態は、日本の方がアメリカよりずっと良好である。
ということは、孤独でストレスの高い生活環境に生きるアメリカ市民の健康管理費が、集団主義で相互扶助のネットワークの中に生きる日本人に比べ、格段に高いことを意味しているように思われる。アメリカ人をはじめ、多くの外国人が、「外人」としての差別を考慮に入れてなお日本を住み良い国と考えるのは、それ相当の理由があるといってよい>
私は日本人の集団志向についてはもとより批判的である。もうすこし個人尊重の方向に動いていかなければならないと考えている。しかし、このことはアメリカ的な競争的個人主義がよいというわけではない。日本をアメリカのような優勝劣敗のストレスの多い訴訟社会にしないためにも、日本社会の持つ美点を安易に捨て去ることなく、このよき共生社会の伝統の上に、より個性が尊重されるゆたかな社会を築いていきたいものだ。
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