橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2004年06月03日(木) 「石つぶて」を投げる人々

 イラク人質事件で、窮地にたった小泉首相が苦し紛れに放ったのが「自己責任」の一言だった。「悪いのはアメリカに追随して自衛隊を送ったオレじゃない。危ない場所に出かけて行ったあいつらだ。あいつらは自業自得だ。責任は馬鹿なあいつらにある」といいはなった。そうすると、全国に「あいつらは馬鹿だ」「自己責任だ」の大合唱が巻きおこった。

 その合掌をしている連中を見てみると、会社や家庭でつらい思いをしている人たちばかり。抑圧され、虐げられた怨念のマグマがここぞとばかり噴火した。この「弱者による弱者いじめ」をマスコミが演出して煽り立てた。家庭や学校などでよくみられる虐待やいじめと同様の集団ヒステリーといっていい。

 イラク人質事件の被害者へ向かっていたいじめ集団の「石つぶて」は、やがて北朝鮮による拉致被害者への家族にも向けられた。彼らが小泉首相の訪朝の結果を批判した途端、イラク人質事件の家族と同じ扱いになった。「国のお世話になっているくせに、生意気だ」というのである。あいつらは日本人じゃない、「非国民」だという声まで聞かれた。

 これでイラク人質事件の被害者や家族への非難の本質がなんであったのかよくわかる。「自己責任」はいいがかりであって、本質は「下の者はおとなしく上をいうことを聞け」ということ、「下のものがエラそうに権力に楯突くなんた生意気」ということだ。6月1日付の朝日新聞「声」の欄に、47歳の男性と71歳の女性が、こんな投書を寄せていた。

<自分だって職場で我慢しているのに、似たり寄ったりの者が、偉そうに政府を批判するとは何事だ、というわけだ。反感と嫉妬の塊になって非難し、口汚くののしって、溜飲を下げるのが日本の大衆だろうか・・・>(「弱者の批判を許さない風土」伊藤浩睦、著述業、名古屋市、47歳)

<イラク人質事件のときも、今回の行方不明者の家族の反発にも、厳しい批判が巻き起こった。でも命が危ない人の家族や、長年、家族の消息が分からない家族が「一日も早く、行方の知れない家族をこの手に帰して・・・」と叫ぶのは当たり前ではないか>(「家族の痛みが理解できるか」竹中文子、主婦、名古屋市、71歳)

 日本人はどうしてこんな非人情であさましい人種になりさがったのか。その大本をただせば、9.11事件で傷ついたアメリカのトラウマにたどり着く。テロにやられて逆上したアメリカも、やはり傷ついた弱者といっていい。206万人もの収監者を抱え、5000億ドルを超える財政赤字と、これまた5000億ドルを超える貿易赤字を抱えるアメリカも窮地に立って苛だっているのだ。

 世界中にいらいらが蔓延している。そのイライラがアメリカでは外に向き、アフガンやイラクに攻撃を仕掛け、日本ではうちに向いて、自殺や鬱病の多発、家庭、学校、会社での陰湿ないじめを生んでいる。こうした「弱者の弱者いじめ」は見ていてやりきれない。

 弱い犬ほどよく吠えるというが、ゲームの理論によれば攻撃とは「弱者の戦術」である。これは国家レベルの戦争でも、個人レベルのいじめでも成り立つ。私たちはもう少し、文化的、精神的に成長しなければならない。

 福沢諭吉は「言論の自由」と「独立自尊」の大切さを説いた。卑屈になるな、長いものに巻かれるな、権力に媚びずに、もっと頭を上げて毅然と発言せよ、そして人品を磨けと人々を啓発した。「一身独立して、一国独立する」と高らかに説いた。

 アメリカに追従する首相と、その首相に追従する人々のこの狂騒状態を彼が見たら、日本人は封建時代よりも浅はかだと嘆くだろう。マッカーサーなら、「日本人はいまだに13歳の子供」とあきれるに違いない。私たちは権力から乳離れしよう。権力にへつらうのではなく、批判する勇気をもとう。そうでないと、いつまでも「一身の独立」がならず、「一国の独立」もかなわない。国民が奴隷状態では国の未来が危うい。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加