橋本裕の日記
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2004年06月01日(火) 計算力と思考力

 書店にいくと、随分「計算力」という表題のついた書物が目に付くようになった。そのうちのいくつかを手にとって見てみたが、どれもそれほど面白くなかった。数学の教師をしているが私は計算が苦手である。最近は九九まであやしくなってきて、たとえば7×8も即座には答えられなくなった。だから、試験の採点のときは計算機をいつも傍らに置いている。

 職業柄、毎年センター入試の「数学問題」には目を通しているが、一見して解き方は分かるものの、残念ながら計算をして答えを出す気力が湧かない。おそらく計算をしても、答えは間違っているだろう。補習などで生徒に解説するときには、途中の計算は解答をそのまま写すことが多い。

 もっとも、数学科の大学教授でもセンター入試の「数学」の問題を時間内に解くのはむつかしいらしい。日本数学会理事長で、東北大教授の森田康夫さんも、「前身の共通1次試験に比べ計算量が増え、数学者でも時間内に全部解くのは難しい」と書いている。朝日新聞でこれを読んで、私は少し救われたような気がしたものだ。

 森田さんたちは、02年から今年まで3回の入試を対象に、主に理学部志願者のセンター試験と大学独自の2次試験の各教科成績を調べたのだという。そして、外国語などはセンター得点が高ければ2次得点も高いという相関が表れるのに対し、数学ではそれが極めて弱かったことを明らかにしている。

<今年の前期日程試験で見ると、センター試験の数学(1)(主に数学1・A)では理学部受験生約600人の約30%が満点の100点だったが、2次試験(300点満点)になると、センター満点組が260点前後から40点台まで分散し、4人に1人の割合で平均を下回った。センター試験80〜90点台でも同様の分布を示した。数学(2)(主に数学2・B)でも、全体的に2次試験との相関は弱かった。>

 センター試験が空欄を埋めるマーク式で広い範囲の基礎的な知識を測るのに対し、2次試験は記述問題で論理的に深く考える能力を試している。「計算力」があれば点をかせげるセンター入試とは違い、二次試験では「思考力」が試される。今回の調査で分かったことは、「計算力」と「理論的探究力」とはとくに相関がないということだ。そして次の二点をセンター入試の問題点として指摘している。

(1)平易な問題で平均点を60点程度にする制約から、計算量の多い問題を出している。
(2)計算力は学習で伸びるため、数学的思考力がそれほど高くなくても高得点を取れる。

 森田さんはさらに「高校ではこれに対応して計算練習が過度に重視されるようになった。難易度が多様な問題を出す一方で、計算量を減らすなど出題方針を改めるべきだ」と語っている。大学入試センター試験の数学問題では「数学力」を十分に判定できないという調査結果が得られたことを、入試数学を検討する専門家の集会で報告し、センター入試の改善を訴えることにしているという。

  私は自分が計算が苦手なので、どちらかというと「計算力」そのものを軽視する傾きがある。というか、計算力を軽視した結果、こういう結果になったのだろう。だから、私の場合はもう少し、計算力を鍛えた方がようように思われる。これは小学生や中学生の頃、遊んでばかりいたせいである。今の子供たちに、私の二の前にはなってほしくはない。小学校でしっかりと計算をやらせるこには賛成である。計算力を鍛えることで、思考力を伸ばすことができる。

 しかし、「計算力」が大学入試にまで幅を利かせている現状には、私は疑問を感じないわけにはいかない。「計算力」=「数学力」ではないからである。私が思うに、これは「数学」が成績判定や選抜制度の手頃な道具になっているからではないかと思う。もっともこれは日本だけの問題ではなく、アメリカでも同様の傾向があるようだ。J・ハーリー著「滅び行く思考力」から引用しよう。

<教育的に重要であるが、ものさしでは測りにくいことが、教育的には重要ではないが測りやすいことに置き換えられています。今では学ぶ価値のないことを、どれほどうまく教えたか、われわれはそればかり測っています>

「計算力」はたしかに測りやすい。そしてこれは「学習」によって目に見えて伸ばすことが出来る。努力がむくわれるという意味で、たいへん教育的である。しかし、「計算力軽視」とともに、「計算力重視」の弊害も考えなければならない。

 「計算力」と「思考力」は基本的には全く別の能力だと考えた方がよい。「計算力重視」が「思考力」を伸ばすどころか、これを阻害する場合もある。このことを念頭においた上で、「計算力」とともに「思考力」も大切に伸ばしてやりたいものだと思う。


橋本裕 |MAILHomePage

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