橋本裕の日記
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2004年05月30日(日) 競争力という危険な幻想

 クルーグマンによると、「経済問題の根源が国際競争力にある」という、理論的にも事実としても誤った主張が、これほどまで多くの人々に易々と受け入れられたのは、それが一見わかりやすいからだという。

<ビジネスマンの集まりで、国も大企業とおなじように競争していると説明すれば、それなら基本はわかっているという安心感をあたえることができる。比較優位などの経済学の概念を説明し、これまで知らなかったことを学ぶようにうながした場合と比較してみればいい。必死に考えるという苦しい作業を経なくても、高度なことがすぐに理解できたように思える理論を好む人が多いのは、あたりまえである>

 しかし、問題はこれだけではない。そこにはもっと深い背景がある。クルーグマンは、つぎの三つをその背景に加えている。
�/諭垢魘淑海気擦独瑤咾弔�せる。売名と商業主義。
��解決が容易だと思わせ、独断的な偽りの満足感をあたえる。知的頽廃の始まり。
��これを錦の御旗にして、あらゆる政策に従わせる。政治的専制。
 「良い経済学、悪い経済学」の第一章、「競争力という危険な幻想」から引用しておこう。

<第一に、競争は興奮を呼び、興奮があれば人々は飛びつく。レスター・サローの大ベストセラー「大接戦」の副題は「日米欧どこが勝つか」であり、表紙には、「世紀の決戦が始まった。……アメリカはすでに戦いを放棄しているのか」と書かれている。副題がもっと現実的であったらどうだろうか。たとえば、「今後の戦いで主要な経済国の成否を決めるのは、それぞれの努力であり、他の国がどう動くかとはほとんど関係がない」であれば、サローの本は10分の1も売れただろうか>

<第二に、アメリカ経済がぶつかっている問題は国際競争力に負けている結果だと考えると、不思議なことに、問題の解決が容易に思えてくる。アメリカの労働者の平均生産性は、きわめて多数の複雑な要因によって決まり、そのほとんどは、政府がどのような政策をとろうと、影響をあたえられないものである。・・・しかし、問題は国際競争力負けていることにあると信じ込めば、つまり、輸入の増加で国内の高賃金の職が失われ、政府の補助を受けた外国産業との競争で、アメリカがハイテク産業から締め出されていると信じ込むことができれば、ハイテク産業に補助金を出すとか、通商問題で日本に強い姿勢をとるなど、簡単な政策で経済問題を解決できると思えるようになる>

<第三に、競争力の比喩が政治的にきわめて好都合であることに気付いた政治家が多い。競争力を錦の御旗にすれば、国民にとってきびしい政策を正当化するためにも、きびしい政策を回避するためにも役に立つ。・・・財政赤字によって、生産的な投資にまわるはずの資金が吸い上げられ、アメリカの経済成長率がごくわずかではあるが、着実に押し下げられる。しかし、クリントン大統領はこうは主張せず、国民の愛国心を呼び起こす演説で、グローバル市場での競争力を確保するために行動を起こそうと呼びかけた>

 クルーグマン教授がこの文章をフォーリン・アフェアーズ誌に発表して、「競争力というイデオロギー」の危険性を警告したのは1994年のことである。クルーグマンは多くの人々が信奉している考え方を間違いだと公言するのは、世界の指導者にとっても、またエコノミストにとってもよほどの勇気がいることだと述べている。しかし、誤ったイデオロギーは、人々を困難な世界に導く。だれかがその虚妄を暴かなければならない。

<創造説にこりかたまった政権は、進化論とは直接関係のない分野であっても、まともな科学的政策を打ち立てられるとは思えない。これと同様に、競争力というイデオロギーにこりかたまった政権は、まともな経済政策を打ち立てられるとは思えない。・・・国の経済政策を考える際には、競争力は意味のない言葉なのだ。そして、競争力という妄想にとらわれるのは、間違いでもあるし、危険でもある>

 こうしたことを公言すれば、政治家は人気を失い、エコノミストは信頼を失うことになるだろう。事実、クルーグマンでさえ、その後多くの雑誌から掲載を拒否され、友人を失うことになった。しかし、クルーグマンのこの論文から10年近く経ったいま、世界はまさしく彼の予言した最悪のシナリオで動いているように見える。

 明日の日記で、競争力というイデオロギーがどこから生まれてきたのか、そしてそれが何故間違っているのか、クルーグマンの語るところに、もう少し耳を傾けてみたいと思う。


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