橋本裕の日記
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明治維新を起こした勤皇の志士達の多くは武士と言っても、最下層の身分のものたちだった。郷士出身の坂本龍馬しかり、西郷隆盛や大久保利通も下級武士の出である。大久保などは若い頃は赤貧洗うがごとしで、借金の証文に囲まれて暮らしていたらしい。しかし、彼らの学問の深さや志の高さは群を抜いていた。
公爵で初代の総理大臣となった伊藤博文も貧しい農民の子である。たまたま足軽の家に養子に入り、松下村塾が近くにあったので、そこに通ううちに高杉晋作や久坂玄瑞らの知遇を得て、彼らが早死にしたあとも生き残ったため、枢要な地位を手に入れることができた。
もっとも、伊藤博文をたんに上に媚びることにたくみな如才ない男だとあなどってはいけない。彼の如才のなさはむしろ天才的と言っていいほどで、彼の伝記を少し読んでみれば、彼が実のところとんでもない偉才の持ち主だとわかるはずである。
1971年(明治4年)11月12日、蒸気船アメリカ号にのって、総数100名をこす岩倉使節団が横浜を発った。23日目に、彼らはサンフランシスコについた。そこで伊藤博文は特命全権副使として、およそ300名近いアメリカ市民の前でスピーチをしている。一部を引用しよう。
Within a year a feudal system, firmly established many centuries ago, has been completely abolished, without firing a gan or shedding a drop of blood. these wonderfull results have been accomplished by the united action of a Government and people, now pressing jointly forward in the peaceful paths of progress. What countory in the middle ages broke down its feudeal system without war?
(数世紀にわたって強固に続いてきた日本の封建制度は、一発の弾丸も放たず、一滴の血も流さずして、わずか一年以内に撤廃することができました。この驚くべき事実は。政府と人民との共同行為によって達成されたものであり、両者は今や一致団結して平和の道を進みつつあります。他のいずれの国が、戦争なくして中世の封建制度を打破することができたでありましょうか)
以上の文章は、明石康さんの「サムライと英語」(角川書店)から引用させていただいた。明石さんは、伊藤のこのスピーチについて、こう書いている。
<この伊藤の演説は、いわゆる「日の丸演説」といわれ、その内容については様々に評価されているが、こと異文化コミュニケーションの視点で捉えてみると、多くの示唆に富む。伊藤の英語は、それほど達者でなかったという。今ではどのような発音だったか知るすべもないが、おそらく強い日本語訛があっただろう。しかし伊藤は全く臆する様子もなく300人のアメリカ人が見守る中、堂々と「日本はこのような国だ」と伝えている。(略)
伊藤のスピーチは、日本があたかも一発の銃声も使わない平和な革命を成し遂げた人道的な近代国家であるかのように聞こえる。100パーセント嘘ではないが、かなり日本の有様を美化し誇張していることは間違いない。しかしそのことで聴衆にインパクトを与えたことは評価できる。・・・伊藤博文のスピーチは、アメリカ人たちの喝采を浴びたという意味で大変インパクトのあるスピーチだったといえよう>
1971年といえば、南北戦争が終わってまもないころである。アメリカは第二次大戦で30万人あまりの戦死者を出しているが、南北戦争(1861〜64)ではその二倍の60万人あまりが死んでいる。伊藤のスピーチを聴いたアメリカ人の多くは、南北戦争の悲劇を思い出し、最小の犠牲で封建的な体制をうち破り、近代国家へと歩み始めた日本の姿に、尊敬の念を覚え、惜しみない賞賛の拍手を送ったのではないだろうか。しかもこのような国家を代表するようなスピーチが、若干31歳の青年によって行われたことも特筆に値することであろう。
明石さんは、「通常、革命というのは、支配階級に対して、被支配階級が立ち上がって社会体制を変えていくものである。しかし、明治維新は、サムライたちが中心になって、サムライの支配する社会を否定し変革するという、世界史的に見ても珍しい革命だった」と書いている。
たしかにその通りだが、明治維新が特に身分的に抑圧されていた下級の武士によってなされたことも抑えておく必要はあるだろう。福沢諭吉の「封建制度は親の敵でござる」という言葉を持ち出すまでもなく、身分制社会の抑圧を身を以て体験し、しかもそれを批判できるだけの学問的知識を持っていたのは、彼らをおいて他になかったのである。
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