橋本裕の日記
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2004年05月17日(月) ルーズソックスと民主主義

 一時、ルーズソックスが日本の女高校生のあいだに蔓延した。現在はもうかなり下火だと思うが、それでも私の高校ではいまだにほとんどの女生徒がルーズを穿いている。もっとも二学期からはこれを強制的に禁止する措置がとられるようで、これでようやくルーズを見なくてすみそうだ。

 昨日の朝日新聞「ひとこと」欄に、「疑問から行動、自信に」という題で、ルーズソックス禁止に反対する名古屋市の高校三年生高田あゆみさんの意見が紹介されていた。彼女が通う高校では今年4月の新学期からルーズが禁止になった。「学ぶ場にふさわしくない」というのがその理由だという。

 彼女は「私自身は、靴下がそんなに重要だとは思わない。でも、意見を聞かずに一方的に押しつけるのはおかしい」と考え、200人近い生徒を対象にアンケートをとったのだという。生徒からは「せめて紺の靴下は許可して」など、さまざまな意見が寄せられた。

 校長からは「世の中には妥協しなければならないこともある」と言われ、大学受験を前にして、彼女はこれ以上の活動は断念したという。現在は学校ではふくらはぎまでの標準ソックスをはき、外ではルーズにはきかえているという。

 私も強制には抵抗があるが、ルーズはなくなったほうがよいと思っている。少女達はなぜあんなむさくるしいものを穿きたいのだろう。一時的なファッションだと思っていたが、5年以上も続いているわけで、これも私の理解を超えている。ルーズソックスは短いスカートとセットになって、「かわいらしさ」を演出するのだと言われているが、それでは短いスカートの大学生がルーズをはくかというとそんなことはない。

 私の二人の娘も穿いていたことがあったが、別にかっこいいと思っているわけではなく、「みんな穿いているから」というだけのことらしかった。つまりほんのおつきあいで穿いてみたということらしい。ルーズなんてどうでもよいが、しかしこれを頭ごなしに禁止されるのにはやはり反発を感じるという。次女の通っていた名古屋市の進学校にもそうした高圧的な教師がいたので、「もっとましなことが教えられないのか」と、クラスでその先生の授業をボイコットしたらしい。

 そんな話を聞きながら、私が考えた仮説が、「ルーズは弱者連合」ではないかということだった。学校では教師が強者として権力を握っている。生徒は弱者である。その弱者が連帯してこれに向きあおうとするとき、ルーズソックスはその象徴たりえているのではないか。ルーズをただ若者のファッションと考えるのではなく、その底流に意識されない「政治意識」を読みとってみてはどうだろう。

 この世の中は強者に都合の良いようにできている。たとえば「経済」がそうである。本来経済とは人々の生活を守るためのしくみであるはずだ。それが今は、いかに富を築くかという競争の場になっている。人生を弱肉強食のゲームの舞台にして楽しめるのは、ほんの一部の強者達だが、この強者の論理が弱者をも巻き込んで幅をきかせているわけだ。

 そこで、ルーズソックスを穿いている女高生達に言いたい。ルーズソックスに代わる本物の「弱者連合」を発見しようではないか。実は君たちの足許にそれはあるのだよ。弱者が強者に対抗するためのしくみが、実は「民主主義」なのだ。これを目差して、世界の歴史は動いてきた。もちろん、アメリカのいう「民主主義」はニセモノだけどね。世界のそんな複雑なカラクリがわかるためにも、もっと本物の勉強をしようね。


橋本裕 |MAILHomePage

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