橋本裕の日記
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| 2004年05月11日(火) |
「愚者」と「賢者」の壁 |
マキャベリは「君主論」で人間には三種類あると書いている。 �ー�分で考えることのできる人間(独創的な人、賢い人)。 �⊆�分で考えることはできないが、他人の考えは理解できる人間(利口な人)。 ��自分で考えることもできず、他人の考えも理解できない人間(馬鹿な人)。
�,亮�分で考えることができる人のなかから、独創性にすぐれた天才が生まれてくる。しかし、マキャベリもこういう人は本当に少ないと言っている。また、そうした独創的なひとは、どうしても自分中心になりがちである。そこで私たちが理想とすべきは、他者の考えを理解した上で、しっかり自分の考えを持つということだろう。私はこれを「賢者」とよびたい。賢者はかならずしも独創的である必要はない。
�△痢嵳�口な人」は他人の意見がわかる人である。こういう人は学校ですぐれた成績を収めることができるし、社会的にも大いに有用である。官僚としても有能だろう。社会はこうした優秀で有能な人材を必要としている。そして、日本には結構こうしたすぐれた人材が豊富だった。日本の教育はむかしからこうした意味ですぐれていた。
��の馬鹿な人について考えておきたいことは、馬鹿にも二種類あるということだ。つまり、「自分が馬鹿だと知っている馬鹿」と「自分が馬鹿だと知らない馬鹿」である。じつのところ、自分を馬鹿だと知っている馬鹿はほんとうの馬鹿ではない。こういう人は「馬鹿の壁」を乗り越えて、やがて「利口な人」になれるからだ。
どうように、�△涼罎砲癲∋笋脇鷦鑪爐凌佑�いるのではないかと思っている。「利口であること」に安住していいる人と、その「利口の壁」を乗り越えて、自ら考えることができる人になろうと努力する人である。そして、「馬鹿の壁」の存在に気付いて、これを苦労して乗り越えた人は、いつかこの「利口の壁」をも乗り越えていくだろう。
マキャベリの分類に従って、少し考えてみたが、私自身はソクラテスのいう「無知の知」による分類が気に入っている。ソクラテスによればこの世の中には二種類の人がいる。
�ー�分の無知を知っている人(賢者) �⊆�分が無知であることを知らない人(愚者)
ソクラテスの分類によれば、知識人の多くは「愚者」ということになるのかもしれない。「愚者」の壁をのりこえて、ソクラテスのような「賢者」として生きたいものだ。
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