橋本裕の日記
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2004年05月04日(火) 秋田から届いたリンゴ

 夜間高校に勤めていた頃、「先生はいいですね」とよく私より年輩の生徒にいわれたものだ。彼らは中学卒のまま世間に出て、つらい下積みの労働をしてきた。そしてそのくやしさをバネに夜間高校に進学し、ときには授業が終わってからでも、これから残業ですと言って出ていく。ああ、こんな人生もあるのかとその後ろ姿を見て涙ぐんだことがある。

 私のまわりのそうした人々の人生を眺め、世界の人々の悲惨な人生を知るにつけて、ますます自分のおかれた境遇が極楽のように思われて、何だか申し訳ないような気がしてくる。そして、自分に恵まれたこの幸福がちょっとうしろめたい。

 そしてそうした恵まれない境遇で苦しんでいる人々を気の毒に思い、何とかならぬものかと、あれこれ考える。ユニセフに寄付したりペシャワール会の会員になったり、そしてHPにこいうしてせっせと文章を書いている動機のどこかには、こうしてあまりに恵まれた自分へのうしろめたさもあるのかもしれない。しかし、一方で、こうした幸運は自分の努力の成果だという自負もないではない。

 もうだいぶん前になるが、大学院で私より二つほど年上の先輩が、就職先がないのをぼやいて、愛知県の教員になったばかりの私に、「君はいいね。頭もいいし、見かけもよい。その上、世渡りもうまいんだから」とつぶやいたことがあった。私は「そうでもないよ、これでも結構努力しているんだから」と言いたかったが、笑ってうなづいただけだった。その先輩の目に映った「優雅な自画像」に満足していたからかもしれない。

 しかし、実のところ、私は就職のためにかなり焦ってじたばたしたのである。大学院のときに、学部の講義にいろいろと出席して、どうにか「数学」の教員免除を取得した。「物理」の第一級教員免許はあったが、採用試験の倍率は10数倍もあって、とうてい合格の可能性はない。数学教員の倍率は4倍ほどだから確率は高い。だから、学部の学生と一緒に一年間講義を受けて、そのための試験勉強もした。

 さらに次の一年間、私は非常勤講師として県立高校で教鞭をとった。家庭教師よりも少ない収入だったが、授業後も居残り、校庭の小石取りや、様々な行事にまで参加し、こうして校長の信頼を得ようと努力した。受験にあたっては福井の実家から両親を呼び寄せ、知多の校長の家まで特産の越前カニを持って挨拶にも行った。こうしたさまざまな水面下の努力があって、ようやく県立高校教員という就職口を手にしたのだが、こうした苦労話はあまりしたくはなかった。コネで入ったと思われては心外だからだ。

 ところで、この先輩から、去年の暮れ、突然わが家に宅急便が届いた。「自分の家でできたリンゴです。ご賞味下さい」とある。家族でリンゴを食べながら、「ああ、先輩もしあわせに暮らしているのだ」と思った。私の前で20数年前にぼやいた先輩の顔が、いつかはちきれる笑顔になっていた。


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